Kadoさんのブログ

日々のあれこれを綴ります

沼野雄司『現代音楽史』を読む

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沼野雄司『現代音楽史

現代音楽史:闘争しつづける芸術のゆくえ / 沼野雄司
中央公論新社 2021年 v, 282p (中公新書
はじめに…i
第1章 現代音楽の誕生…3
 三つの騒動/無調という沃野/抽象画との関係?/表現主義と無調/エキゾチシズムという駆動力/第一次世界大戦―芸術基盤の崩壊/「現代音楽」の誕生日/主流としての調性音楽
第2章 ハイブリッドという新しさ…37
 あらかじめ喪失された古典古代/ストラヴィンスキー新古典主義/ジャズと機械/録音の登場、あるいは音楽のネクロフィリア/「ベル・エポック」から「レザネ・フォル」へ/「アメリカ国民音楽」と新古典主義/もうひとつの中心地―ベルリン/バウハウス社会主義ヒンデミットの軌跡
第3章 ファシズムの中の音楽…73
 アヴァンギャルドから「社会主義リアリズム」へ/スターリン体制下におけるショスタコーヴィチ社会主義リアリズムの果実?/ナチスと退廃音楽/ナチス公認の作曲家たち/ファシスト党とイタリア・ナショナリズムヴィシー政権と「抵抗」の音楽/特異点としてのアメリカ―ニューディール政策と亡命作曲家たち/1930年代の日本の豊穣と「皇紀二千六百年式典」
第4章 抵抗の手段としての数…109
 零時からの出発/十二音技法の再発見―解凍された退廃音楽/冷たい音楽とモダニズム―セリー音楽をめぐって/数の変容/「アート」としての音楽―ジョン・ケージ/作品と作者の変容/音楽のフロンティアとサウンドスケープ/旧東欧出身の作曲家たち
第5章 電子テクノロジーと「音響」の発見…145
 ミュージック・コンクレートと「具体音」/「電子音楽」から電子音響音楽へ/拡散する電子音響音楽/奇妙な音と記譜、そしてスピーカー/SF映画、あるいはポップ・ミュージック/生演奏と電子音響の統合/「音響」の発見/特殊奏法という「音響」/冷戦構造の中の音楽
第6章 1968年という切断…175
 五月革命とさまざまな闘争/象徴としてのベリオ「シンフォニア」/構造主義民族音楽/引用とコラージュ/68年とミニマリズム/「即興」というボーダー/コミュニケーションと身体性/倍音の再発見―シェルシからスペクトル楽派へ/政治による音楽、音楽による政治
第7章 新ロマン主義とあらたなアカデミズム…211
 調性と拍節の復活、あるいは無調語法の緩和/新ロマン主義と新表現主義/オペラの隆盛―物語の復活/ミニマル音楽と政治/CDの登場―音楽地図の更新と「古楽」の出現/ペレストロイカと「解凍」された作曲家たち/「新しい複雑性」と特殊奏法の探求/IRCAM、そしてスペクトル楽派の継承/「短い二十世紀」の終焉と前衛の危機/「アジア」のアイデンティティオリエンタリズムの罠
第8章 21世紀の音楽状況…245
 グロボカール「歴史の天使」/編曲とシミュレーショニズム/現代オペラの隆盛とレジ―テアター/現代音楽のポップ化、あるいは資本主義リアリズム/筆記から音響へ―楽譜作成ソフトの発展/音楽批評のほうへ
あとがき…267
主要参考文献…271
索引…282

 

『加藤周一』を読む

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海老坂武『加藤周一:二十世紀を問う』

加藤周一:二十世紀を問う / 海老坂武
岩波書店、2013 241, 2p (岩波新書

はじめに―加藤周一を読むこと
第1章 〈観察者〉の誕生…1
第2章 戦後の出発…35
第3章 〈西洋見物〉の土産…77
第4章 雑種文化論の時代…109
第5章 1960年代―外からの視線…129
第6章 〈日本的なもの〉とは何か―〈精神の開国〉への問い…171
第7章 希望の灯をともす…205
あとがき…237
加藤周一略年譜

■アンガジュマンがでてくるところ

  • p42:やがて加藤周一の世界からは「人民の中へ」といったスローガンは消えていく。また日本否定の過激な言説も消えていく。しかし、現実とかかわるという一点において、彼が退くことはないはずだ。その意味で、『1946・文学的考察』は、加藤周一における〈知的アンガジュマン〉の記念すべき第一歩、と位置づけることができよう。
  • p75:いずれにせよこの最初の長編小説は、「In egoistos」において提示したような形の小説にはならなかった。その意味では失敗作である。ただ私はむしろ、サルトルが若きフロベールの青年期の著作について使った言葉を当てはめ、『ある晴れた日に』は加藤周一における戦争体験の〈全体化〉の試み、自己の感情、心理、思想のすべてを表現の中に投げ込むアンガジュマンの試みと言ってみたい。こうした〈全体化〉の試みを加藤はその後『運命』において、『羊の歌』において試みるが、これはその最初の試みである、と。
  • p205:長いあいだ私は、加藤周一は政治的アンガジュマンを避けている知識人だ、という印象を持っていた。観察はする、分析はする、提言はする、しかしそこまでで、一つの主張を実現させるために党派に加わる、党派を支持する、運動に加わるということはしない、と。
  • p239:ただ論をすすめて行く際に、私の頭の中には加藤周一を定義する言葉として常に二つの言葉があり、この言葉に導かれた。一つは〈知的アンガジュマン〉であり、もう一つは〈持続する志〉である。〈アンガジュマン〉と言うと我々の世代はすぐに政治的アンガジュマンを考えるのだが、加藤周一の場合、なんらかの共同行動を前提とする政治的アンガジュマンを語ることはふさわしくない。書斎の人として、彼は知識と言葉による――つまりはただ一人の責任による――現実参加を選んだ。その軌跡を少しでも明らかにできたとすれば幸いである。〈持続する志〉はその原点と終結点を結ぶ言葉としておのずから私のうちに住みついた。不合理と狂信への批判、反戦と民主主義への意志、権力や権威につながる栄誉(叙勲、芸術院)の拒否……。
     こうした〈知的アンガジュマン〉と〈持続する志〉の核心にあるのは、言うまでもなく彼の戦争体験であり、二十世紀体験であり、二十世紀とは何かという問いである。本の題名には悩んだが、最終的に書店の提案を受けて副題を〈二十世紀を問う〉としたのはそのためである。

 
■参考

追悼・安江明夫さん

安江明夫さんが1月29日に亡くなられました。最初にお目にかかったのは1980年代なので、まだ新進気鋭の国会図書館員でらした頃でした。その後いろいろご活躍でしたが、直近では企業史料協議会副会長としてお世話になりました。資料保存について様々な取り組みをされていましたが、2007年にベトナムハノイにある国立図書館の館内見学をしていたら、資料保存の研修をなさっていた安江さんとばったり顔を会わせたのはなつかしい思い出です。また2015年のEAJRSではオランダのライデン大学で蘭書研究の発表を聴かせていただきました。

日本図書館協会のニュースレターに訃報が載っていたので、ここに一部を引用しておきます。ご冥福をお祈りいたします。

<訃報>安江明夫(やすえ あきお)氏
2021年1月29日逝去、享年75歳。
1969年から国立国会図書館に勤務。資料保存課長、関西館長、総務部長、副館長等を歴任、2006年に退職後は顧問。国際図書館連盟 (IFLA) 資料保存分科会委員、学習院大学大学院人文科学研究科講師 (アーカイブズ学専攻)、専門図書館協議会顧問、企業史料協議会副会長等を務められている。

(出典:JLAメールマガジン 第1029号 編集発行:公益社団法人 日本図書館協会 2021/2/4発信)

■NDLのObaさんがまとめられた情報

■参考

■アジアオセアニア国立図書館長会議のニュースレターに掲載された、ベトナム国立図書館副館長の追悼記事
Gone but never forgotten..., CDNLAO Newsletter 98

■更新履歴
2022.8.31:ベトナム国立図書館副館長記事を追加

ウィキペディア20年イベント参加記

Wikipedia 20 Japan

1月23日は朝からウィキペディア20年イベントにZoomで参加しました。この企画は、インターネットフリー百科事典「ウィキペディア」が2001年に設立されて20年を祝うイベントで、有志からなるWikipedia 20 JAPAN実行委員会による開催です。

オープニングトークはウィキデータでお世話になっている東修作さん。ウィキペディア20年の歩みをご自身の足跡と併せ、世界全体の傾向と日本の特徴など統計データも使ってわかりやすく話してくださいました。現在の社会の中でのWikipediaの位置づけを様々な視点から考えることができました。

次は日本語版Wikipediaの黎明期を担った3人の若者の話。当時中学生の人もいて、最初の10年に何が起こったのか活き活きと伝わってきました。3人とも単なるITオタクと思いきや、それぞれのまっとうな取り組み方に感動しました。

大学の話では、ベテラン北村紗衣さんのおられる大学のような対応はまだまだ少ないことがよくわかりましたが、学生も教職員もぜひWikipedia編集経験をつんでほしいとつくづく思います。特に大学図書館員には強く希望します。

午後はまず「棚から一掴み」で本の紹介でしたが、ここでは逃亡者さん推奨の『収容所から来た遺書』が圧巻でした。1989年に文藝春秋から出版された当時ずいぶん話題になったので気にはなったものの、手に取ることなく過ごしていたのが悔やまれました。もっとも私が戦争関連の事項に関心を強く持つようになったのは1999年に岩野裕一『王道楽土の交響楽』を読んでからなので、物事にはふさわしい時期があるものです。文庫にもなっているし俳句のことも話題なので、今度是非読もうと思います。

続いて「秀逸な記事」の紹介では、白菜の記事、金星の記事、トンネルの記事、どれも知らなかったことばかりで印象に残りました。それぞれのウィキペディアンの方々の執筆姿勢も伝わってきて興味深かったです。

最後は「ウィキペディアタウンサミット 2021」。各地での実践報告があり高久雅生さんの的確なコメントで状況がより詳しくわかりました。残念ながら時間切れで途中退出しましたが、ウィキペディアタウンの取り組みが全国に広がっているのは嬉しい限りです。

このイベントに参加して感じたのは、Wikipediaに対しては「悪しきもの」にしようという力より「良きもの」にしようとする力のほうが強いのだ、という印象でした。この印象を実態と結び付けてこれからも記事を書いていきたいと考えています。

ウィキペディア20年イベント

司会:中俣保志(香川短期大学

  • 09:50 オンライン会場 開場
  • 10:00 オープニングセレモニー
  • 10:10 オープニングトーク「知識情報基盤としてのウィキペディア」 / 東修作(オープン・ナレッジ・ジャパン): ウィキペディアの地位は、この20年で大きくアップグレードされた。知識情報基盤としてのウィキペディアとネット世界は、どう変化していくのか。「オープンデータと市民協働」からウィキペディアを捉える。
  • 10:30 そもそもウィキペディア20年、何が起きたの / Suisui・kzhr・青子守歌(資料)
  • 11:00 大学の人がウィキペディアを編集してみたらどうなるの / 北村紗衣(武蔵大学)・伊藤陽寿(至誠館大学)・早稲田Wikipedianサークル
  • 昼食休憩・交流時間
  • 13:00 ウィキペディアンが「棚から一掴み」してみたら 2021 / 進行:のりまき(ウィキペディア日本語版), 登壇者:Mayonaka no osanpo・逃亡者・のりまき
  • 13:50 この人が選ぶ、秀逸な記事 / 進行:のりまき(ウィキペディア日本語版), 登壇者:Swanee・アリオト・さかおり
  • 14:50 ウィキペディアタウンサミット 2021 / 進行:下吹越香菜(アカデミック・リソース・ガイド株式会社(arg))、解説:高久雅生(筑波大学), 発表者:小澤多美子(長野県教育委員会)・小松晶子(神奈川県立図書館)・澤谷晃子(大阪市立中央図書館)・伊達深雪(京都府高等学校)・諸田和幸(伊那市地域おこし協力隊); テーブルディスカッション「2021年からのウィキペディアタウン」
  • 16:50 クロージングセレモニー

■参考

菅野恵理子『MIT マサチューセッツ工科大学 音楽の授業』を読む

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MIT 音楽の授業

MIT マサチューセッツ工科大学 音楽の授業:世界最高峰の「創造する力」の伸ばし方
/ 菅野恵理子
あさ出版、2020、357p
http://www.asa21.com/book/b525754.html

はじめに:世界最高峰MITで音楽が学ばれる理由…3
第1章 なぜ「科学」と「音楽」が共に学ばれているのか?
 人文学は、AIをどう捉えているのか?…24
 MIT音楽学科の歴史:創立当初から理論&実践を重視…32
第2章 人間を知る・感じる
 《西洋音楽史入門》:創造の歴史をたどる…61
 《ワールドミュージック入門》:世界の音楽を体感する…90
 《オペラ》:あらゆる情動の表現と様式を学ぶ…107
 《ザ・ビートルズ》:複合的な表現を読み解く…135
第3章 しくみを知る・創る
 《ハーモニーと対位法I》:しくみを知る・使いこなす…152
 《調性音楽の作曲I》:さまざまな文脈を読み解く・創る…169
 《20世紀音楽の作曲》:新しい世界観に挑む…188
第4章 新しい関わり方を探究する
 《インタラクティブ・ミュージック・システム》:新たな楽しみ方を開拓する…210
 《ラップトップ・アンサンブル》:パソコンを楽器に…218
第5章 他者・他文化・他分野と融合する
 《室内楽》:個x個による究極のコラボレーション…244
 《MITシンフォニーオーケストラ》:他者に、自然に、耳を傾ける…250
第6章 MITの教育から探る、未来を生きる世代に必要なこと
 ①自分の身体知を掘り起こす…272
 ②多様性を受け入れる…277
 ③枠の外に出る、未知の状況に向き合う…288
 ④「より大きな全体」を構想する…295
第7章 「いま・ここ」と「はるか未来」を見据えて
 一人一人が創造者となるために
  ①観察と発見:「いま・ここ」の表層から深層へ…319
  ②物語の創造:どこまで進めるのか?進めていいのか?…326
  ③意識の成長:進化した意識で未来を描く…335
  ④愛:創造の源はどこにでもある…342
おわりに:音楽で身体と心を揺らし、新たな世界の扉を開く

メモ

  • 『ライブラリー・セッション』では音楽司書をゲストに迎え、資料の批判的な扱い方、学術資料の探し方などを学びます。(p103)
  • メディカル・エスノミュージコロジーの例としては、ウガンダでのHIV撲滅運動事例を通して、音楽教育の役割を学びました。・・・実際にウガンダではHIV患者が劇的に減ったという実証データもあります。5歳の子どもが歌う内容はかなり詳しく(HIVが危険であること、どのように自分で身を守ればいいのか、など)、これがウガンダに大変大きな意識向上をもたらしているようです。(p104-105)
  • カスバード先生は、「デジタル・ヒューマニティーズ」という新しい領域を立ち上げている。今年3年目を迎え、35名の学生が在籍しているそうだ。(メロン財団が支援) 「コンピュータープログラミングを学んでいる学生に、それをどう人文学に応用すればいいのかを教えています。MITでは音楽とコンピューターを組み合わせた学びは盛んですし、人文学の学びにコンピューターを用いる試みも以前からありましたが、文学や歴史学を専攻している学生を対象にしているのではない点が他大学とは異なりますね。(p232)
  • オンライン・アーカイブの整備・充実化により、今後芸術分野でもさまざまな研究が進むだろう。膨大な音声・画像・映像情報が整備され、目の前に差し出されるとき、我々に問われるのは、「何を問うか」という力だ。膨大な物事や情報を知っているという量的なフェーズから、それをどう生かすのか、という質的なフェーズに移ったことを意味する。(p234)
  • MITの人文学・芸術・社会科学部は、学生にどのようなことを学んでほしいと思っているのだろうか。 人文学を通して身につけてほしいツールキットとして、「クリティカル・シンキング(批判的思考)、歴史や他文化への理解、数学と統計を運用・分析する能力、優れた文学者や芸術家の洞察に触れること、実験への積極的な取り組み、変化を受け入れること、曖昧さに方向性を与える能力、そして芸術や人文学で培われる創造力」と記されている。(p270-271)
  • 世界最高峰の科学技術系総合大学として、MITが見据えているのは、人類、世界、自然、地球の未来である。 その1つとして、2015年から「Solve Gloval Challenges」が進められている。・・・このイニシアティブのコアバリューとして、次の5つが挙げられている。「楽観的(解決できない問題はない)」「パートナーシップ(1人または1企業で解決できる問題はない。パートナーシップによって進歩する)」「オープン・イノベーション(優れた才能やアイディアはどこにでもある。それを見つけて支援したい)」「人中心の解決(解決策は人から始まり、人に終わる。設計対象となる人々を巻き込むこと)」「インクルーシブ・テクノロジー(すべての人々に機会を創り出すために、テクノロジーは経済的・文化的・社会的障害に働きかけるべきである)」(p301-303)
  • 若い世代の方々には、ぜひこの3つの力を贈りたいと思います。まず1つ目は「出杭力(突出する力)」です。杭が出るとハンマーでたたかれますが、はるかに抜きんでた杭はたたかれません。これは若い人にとって大事なことだと思います。そして2つ目に「道程力(道を切り開く力)」。新しい環境に飛び込み、新しいことを始めよとすると、究極の孤独を味わうかもしれません。しかし高村光太郎の詩のように、「僕の前に道はない。僕の後ろに道はできる」。ぜひ新しい道を切り開いていただきたいですね。最後に「造山力(海抜ゼロメートルから山を造り上げ、頂点を征服し、他者を招き寄せる力」。(p312)

参考

『蟹の横歩き:ヴィルヘルム・グストルフ号事件』を読む

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ギュンター・グラス『蟹の横歩き』

蟹の横歩き:ヴィルヘルム・グストルフ号事件 / ギュンター・グラス池内紀
集英社、2003、254p

バルト海に沈んだドイツ船グストルフ号のことを知ったのは、池内紀『消えた国 追われた人々』(みすず書房、2013)を読んだ時だった。タイタニック号の犠牲者が1,500人程なのに対し、グストルフ号では9,000人もの人が海に沈んだ。それなのにグストルフ号の遭難は歴史から隠され、冷戦の終わった後の2002年にギュンター・グラスが小説の形で事件の顛末を書き上げた。それを池内が翌年翻訳したのだ。その小説を初めて手に取った。

ヴィルヘルム・グストルフ号はナチス・ドイツが建造し1937年に完成した豪華客船の一つで、全長208.5m、客室463室、定員1,463名、乗員426名、食堂2つ、談話室3つ、劇場、コンサートホール、体操場、室内プールを備えていた。船室は等級がなく、国の補助で安価で乗船できた。バルト海クルーズは大人気で人々は競って乗船し、ナチ党の支持者となっていった。

船名はスイスでナチス思想の宣伝指導者だった人物の名で、彼は1936年にユダヤ人青年に射殺された。ナチスはこれを反ユダヤキャンペーンに利用し、豪華客船に犠牲者の名前がつけられた。

グストルフ号が客船クルーズをしていた時代は間もなく終わり、第二次世界大戦が始まる。病院船になったり軍用船として兵士を運んだりしたが、1945年1月にポーランド東部のグディニア港で乗船したのは、ドイツ本土へ逃げる難民たちであった。乗船名簿は6,600名で紙が無くなり、推定9,000名以上が乗船。1月30日昼に出港しバルト海を西へ進むが、夜の9時過ぎにソ連軍潜水艦から発射された水雷3発が命中。まもなく船は沈没し9,000名もの人が犠牲となり、助かったのは僅かだった。

ギュンター・グラスの小説では、助かった一人の女性の息子が語り部となり物語が進んでいく。その骨格となったのは同じく生き残ったハインツ・シェーンという人物が集めた資料だということが、池内の「解説」に書かれていた。1926年生まれのシェーンは18才の時グストルフ号の会計係助手になり、大惨事を経験、その後の人生を事件の究明にかけ、関係文書や資料を丹念に集めた。「グストルフ・アルヒーフ」を設立し、生存者から聞き取りを重ね、順次刊行していった。様々な毀誉褒貶を受ける中で、客観的正確さを第一にしていたという。

もうひとつグラスの小説で気が付いたのは、インターネットにより人々が情報を集め、交信していく中で物語が進むことだった。インターネットが一般的になるのは1990年代以降であり、丁度ベルリンの壁が崩れ東西ドイツが統一されていった時期と重なる。その時期に情報公開も進み、隠されていた歴史が次々と明るみに出て行ったのだろう。

国家に翻弄される人々がいる一方で、丹念に記録をとる人、小説という形で世に問う人がいる。読者として私は何ができるだろうか。

下田2021

2021年1月1日

6:38 出発 薄明の中満月に近い白い月が浮かぶ
    五反田から首都高へ。道路はガラガラ。用賀のあたりから富士山がよく見える。
6:55 多摩川を渡る。日の出。
7:13 海老名SAで朝食 (45.2㎞)
7:51 出発。晴。改造車のような車あり。
    丹沢山系の奥に富士山。車が多くなる。
    秦野・中井より箱根の二子山が見える。いろいろな角度で見える。

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厚木のあたりからみた富士山

8:24 御殿場 (100㎞)
    新東名へ。120㎞/hで飛ばす
8;32 長泉・沼津のインター出る(115.4㎞)
    下田へ向かう。太陽が眩しい。
8:44 道の駅・函南 (132.3㎞)
8:50 出発 狩野川を渡る。
    伊豆中央道修善寺道路 各200円
9:09 月ヶ瀬インター (152㎞)
    国道414号を南へ。外気温7℃
    湯ヶ島温泉天城山、外気温4℃
    河津町、ループ橋、七滝、県道14号へ
9:47 国道135号へ。(180.8㎞)
    海岸、今井浜、伊豆大島、利島が見える。下田に出る。
10:07 道の駅開国下田みなと (194.5km)
     風が強い。ひじきなど購入。
10:22 出発。外気温8度。海上保安庁の巡視船、観光船黒船。
     国道136号を入間へ向けて曲がる。車はほとんど来ない。
10:52 海蔵寺 (213.2㎞)
     ニール号の碑確認。

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ニール号の碑

     入間港の海岸へ出てみるが、あまりの強風に退散。妻良村までは遊歩道があるが4時間くらいかかる。

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入間から妻良までの散策コース図

11:19 出発
11:43 展望広場(228.5㎞) 海がよく見える。風が強い
11:51 出発。NHK名古屋放送がはいる。岐阜や北陸の天気予報。
     雲見、石部、岩地の海。
12:17 松崎のセブンイレブンでランチ休憩(244.7㎞)外気温12℃
12:41 出発
13:09 土肥(266.6㎞)
13:30 月ヶ瀬の道の駅(285.6㎞)
     野菜いろいろ購入。ソフトクリーム
14:05 出発。ロープウェイあり。
14:37 長泉・沼津インター(321㎞)
     新東名~東名高速~首都高
15:53 帰宅 (436.8㎞)

霊峰のすそ野めぐりぬ大旦(おおあした)
霊峰の表情豊か大旦