Kadoさんのブログ

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『索引 ~の歴史』を読む

デニス・ダンカン『索引 ~の歴史』光文社、2023年

本の巻末にある「索引」の歴史の本。欧米の書物につけられた索引の歴史だが、第6章以降は現代の状況にどんどんつながる話ばかりで興味が尽きない。索引家協会についても記載が多くあり、そしてもちろんこの本の索引も充実している。
英語版Wikipediaにこの本の記事があったので、翻訳してみた。一読しただけではわからなかったこの本の本質にずいぶんとせまることができた。

索引 ~の歴史:書物史を変えた大発明 / デニス・ダンカン;小野木明恵

光文社、2023年8月
429p
原タイトル: Index, a history of the
目次:
序文…9
第1章 順序について:アルファベット順の配列…29
第2章 索引の誕生:説教と教育…61
第3章 もしそれがなければ、どうなるのだろうか?:ページ番号の奇跡…101
第4章 地図もしくは領土:試される索引…133
第5章 いまいましいトーリー党員にわたしの『歴史』の索引を作らせるな!:巻末での小競り合い…159
第6章 フィクションに索引をつける:ネーミングはいつだって難しかった…197
第7章 「すべての知識に通ずる鍵」:普遍的な索引…231
第8章 ルドミッラとロターリア:検索時代における本の索引…261
結び 読書のアーカイヴ…295

原注…305
謝辞…331
訳者あとがき…335

図版一覧…343
索引家による索引…393
コンピュータによる自動生成索引…397
日本語版索引…429

■メモ

  • グーグル社のマット・カッツ「最初に理解すべきは、グーグルで検索をするとき、実際にはウェブを検索しているのではない、ということです。グーグルが作成したウェブの索引を検索しているのです」。(p10)
  • 歴史や伝記など、近ごろ主流のノンフィクションの本には、ほぼもれなく索引がついている。そしてきちんとした出版社なら、専門家が索引作りをする可能性がとても高い。アメリカ索引協会や、オランダ索引家ネットワーク、オーストラリアおよびニュージーランド索引家協会、カナダ索引協会などの業界団体のメンバーである場合が多いだろう。これらの団体のうちもっとも長い歴史をもつのが1957年にイギリスで創設された索引家協会である。(p163)
  • ほかの印刷物と比べて短命な新聞を、わたしたちはどのようにあつかっているのか。~~「今日のニュースは明日のフィッシュ・アンド・チップスの包み紙」とよく言われるではないか。(p199)
  • 18世紀に発行されていた雑誌の多くは、こうした中間的な位置づけに当てはまる。その顕著な例が『スペクテーター』紙だ。1711年創刊の『スペクテーター』紙(現在発行されている同名の雑誌とは直接の関係はない)は1枚きりの紙でできた安価な日刊紙で、文学や哲学、さらには書き手の関心をひいたさまざまな題材についての短いエッセーが掲載されていた。~~かくしてこの新聞は、ほとんど間を置かずに本の形式で再発行された。~~『スペクテーター』の初期の合本につけられた索引は、先駆者である『タトラー』の索引とともに、それだけですばらしいできばえであり、もとのエッセーと同じくらいの多様性とウィットに富んでいた。(p200-202)
  • (ルイス・)キャロルは子どものころからずっと索引を作っていた。しかも索引で遊んでいた。(p205)
  • シャーロック・ホームズが索引家であっても意外ではないだろう。ホームズの異能、並外れた能力の源は、百科事典的な博覧強記にある。人間グーグル、歩く『ノーツ・アンド・クエリーズ』。~~ホームズはことあるごとに自作の索引に手を入れる。~~もちろんその索引はアルファベット順で、字母ごとに見出しの並んだ「大きな索引帳」である。(p232-233)
  • 1865年、司祭で出版者でもあるジャック=ポール・ミーニュがまさにこれに匹敵する大規模な技術プロジェクトを行った。~~1841年から1965年にかけて刊行された『ラテン教父全集』には、広範囲にわたる教父たちの著作が収録されている。~~索引となるとミーニュは手を抜かなかった。~~「50名以上が10年にわたり、ひとり当たり年1000フランという低報酬で作業をした」とミーニュは述べる。生活が困窮している索引家にとっては低報酬かもしれないが、合計額は当然かなりのもので、「印刷費全額は勘定に入れずとも、50万フランを超えた」と自慢気に語る。(p235-237)
  • 1877年10月2日、図書館業界の面々がロンドンに押し寄せた。世界有数のコレクションを誇る140の図書館の代表者たちが、第2回図書館員会議に集まったのだ。第1回会議は前年にフィラデルフィアで開催されたが、遠方であったため、ヨーロッパの図書館からの出席者はほとんどいなかった。(p239)
  • 図書館員会議からわずか3週間後に索引協会が発足した。協会幹事はヘンリー・B・ホイートリーなる人物で、年会費1ギニーを払えば、協会委員会の承認を経たうえで会員資格が得られた。~~協会初の刊行物としてホイートリーの『索引とは何か』がすでに印刷、発行されていた。~~1887年、設立から10年後、協会は事実上消滅した。ホイートリーは15年を隔てて協会の末路を振り返り、協会が存続できなかったのは普遍性を目指したからであろうかと疑問を呈することになる。(p245-250)
  • 図書館員会議でクロスの講演に耳を傾けていた代表者のなかに、ウィリアム・プールがいた。~~彼はアメリカの非常に著名な司書で、シカゴ公共図書館の館長を務めている。~~彼自身の著書、『評論誌、その他の定期刊行物にてあつかわれた主題についてのアルファベット順索引』である。(p251-252)
  • 2007年8月23日、クリス・メッシーナという名のウェブ開発者が、新興のソーシャル・メディア・ネットワーク、ツイッターにメッセジーを投稿した。「ポンド記号(#)を使ってグループを表すのはどうだろう。たとえば#barcamp [メッセージ] みたいに。(p288)

■更新履歴

  • 2024.1.17:Wikipedia記事についてと「メモ」を追記