Kadoさんのブログ

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『蟹の横歩き:ヴィルヘルム・グストルフ号事件』を読む

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ギュンター・グラス『蟹の横歩き』

蟹の横歩き:ヴィルヘルム・グストルフ号事件 / ギュンター・グラス池内紀
集英社、2003、254p

バルト海に沈んだドイツ船グストルフ号のことを知ったのは、池内紀『消えた国 追われた人々』(みすず書房、2013)を読んだ時だった。タイタニック号の犠牲者が1,500人程なのに対し、グストルフ号では9,000人もの人が海に沈んだ。それなのにグストルフ号の遭難は歴史から隠され、冷戦の終わった後の2002年にギュンター・グラスが小説の形で事件の顛末を書き上げた。それを池内が翌年翻訳したのだ。その小説を初めて手に取った。

ヴィルヘルム・グストルフ号はナチス・ドイツが建造し1937年に完成した豪華客船の一つで、全長208.5m、客室463室、定員1,463名、乗員426名、食堂2つ、談話室3つ、劇場、コンサートホール、体操場、室内プールを備えていた。船室は等級がなく、国の補助で安価で乗船できた。バルト海クルーズは大人気で人々は競って乗船し、ナチ党の支持者となっていった。

船名はスイスでナチス思想の宣伝指導者だった人物の名で、彼は1936年にユダヤ人青年に射殺された。ナチスはこれを反ユダヤキャンペーンに利用し、豪華客船に犠牲者の名前がつけられた。

グストルフ号が客船クルーズをしていた時代は間もなく終わり、第二次世界大戦が始まる。病院船になったり軍用船として兵士を運んだりしたが、1945年1月にポーランド東部のグディニア港で乗船したのは、ドイツ本土へ逃げる難民たちであった。乗船名簿は6,600名で紙が無くなり、推定9,000名以上が乗船。1月30日昼に出港しバルト海を西へ進むが、夜の9時過ぎにソ連軍潜水艦から発射された水雷3発が命中。まもなく船は沈没し9,000名もの人が犠牲となり、助かったのは僅かだった。

ギュンター・グラスの小説では、助かった一人の女性の息子が語り部となり物語が進んでいく。その骨格となったのは同じく生き残ったハインツ・シェーンという人物が集めた資料だということが、池内の「解説」に書かれていた。1926年生まれのシェーンは18才の時グストルフ号の会計係助手になり、大惨事を経験、その後の人生を事件の究明にかけ、関係文書や資料を丹念に集めた。「グストルフ・アルヒーフ」を設立し、生存者から聞き取りを重ね、順次刊行していった。様々な毀誉褒貶を受ける中で、客観的正確さを第一にしていたという。

もうひとつグラスの小説で気が付いたのは、インターネットにより人々が情報を集め、交信していく中で物語が進むことだった。インターネットが一般的になるのは1990年代以降であり、丁度ベルリンの壁が崩れ東西ドイツが統一されていった時期と重なる。その時期に情報公開も進み、隠されていた歴史が次々と明るみに出て行ったのだろう。

国家に翻弄される人々がいる一方で、丹念に記録をとる人、小説という形で世に問う人がいる。読者として私は何ができるだろうか。