Kadoさんのブログ

日々のあれこれを綴ります

井上郷子ピアノリサイタル#32を聴く

井上郷子ピアノリサイタル#32

井上郷子ピアノリサイタル#32

モートン・フェルドマン(1926-1987)

■伊藤祐二(1956-)

  • 偽りなき心II ピアノ版(2015/2022)日本初演

■リンダ・カトリン・スミス(1957-)

  • 白いレース(2018)

~~~休憩~~~
■リンダ・カトリン・スミス

モートン・フェルドマン

  • パレ・ド・マリ(1986)

2023年3月5日(日)19時 東京オペラシティ・リサイタルホール
https://www.confetti-web.com/detail.php?tid=69972

https://www.n-b-music.com/satoko-inoue

井上郷子さんのリサイタル、第29回、第31回と聴いて今回で3回目。フェルドマンを弾かれるというので楽しみにホールへ向かいました。その日は昼間、英語の翻訳に取り組んでいたので、頭の中は日本語と英語がぎっしり詰まった状態でした。言葉の情報量は膨大なので、そこに音楽がどう作用するかと少し気になりましたが、演奏が始まると言葉の領域に音楽がどんどん浸み込んでいく感じでした。フェルドマンの音はとても少ないのですが、響き渡る音はとても豊かなのです。

伊藤祐二作品のプログラム解説を読むと、作曲者が「どうしたら「一つの音」が、独立して存在でき、かつ魅力的に聴こえるか、という問い」を立てているのがわかりました。「一つの音」は誰が弾いても同じではなく、演奏者により異なった魅力を発するのが目標なのでしょうか。私の頭の中ではその日に訳していた一人のロシア人作家の記事が「作家一般」でなく、訳すことで顔と個性を持った実在人物として存在する、ということと結びついてきました。そして演奏は見事にその個性的な魅力を表現していたと感じました。アルゼンチンの「Distat Terra Festival」で初演後、ドイツとスウェーデンでも演奏されたとのことで、演奏を重ねることで一層魅力が弾けたのでしょうか。

リンダ・カトリン・スミスの曲は、2曲とも井上郷子委嘱作品。演奏家を頭に置いて作曲された作品の魅力を味わいました。「白いレース」は「郷子の奥深く美しい演奏を描写するのにふさわしいように思われる」と作曲者が書いてますが、その通り奥深く美しい演奏でした。「潮だまり」の方は海辺の風景で、終結部で何度も繰り返されるパッセージがまるで際限なく打ち寄せる波のように心に残りました。作曲者の意図を十二分に理解し表現した演奏だと思います。

最後のフェルドマン『パレ・ド・マリ』は、最晩年の作品で、25分を超えるとプログラムにありました。しかし5時間も6時間もかかるというフェルドマンの作品の中では短いです。静謐さの中に豊穣な音楽が流れ出て時間のたつのを忘れました。心地よさにいつまでも浸っていたい気分でした。アンコールが無かったのは残念。しかしフェルドマンの後でアンコールは求めないものでしょう。

最後にプログラム冊子について。冊子の後ろには1991年の第1回からのリサイタル記録がいつも記載されていて、30年に渡る演奏の足跡を一覧することができます。それを見ると最初の10年間は日本人の作品ばかりでしたが、2001年からベリオやフェルドマンの名前が入りだし、メシアンジョン・ケージ、ドイナ・ロタルといった名前が見えます。近年は近藤譲松平頼則、リンダ・カトリン・スミスなど特定の作曲家の個展もあります。毎年異なったテーマで作曲家と作品を選び演奏を重ねる姿勢に深く敬意を表したいと思います。