比較文学・比較文化の研究者で東大教授今橋映子さんの『近代日本の美術思想:美術批評家岩村透とその時代. 上、下』(白水社、2021年)を手に取りました。上下2巻で本文1327ページ、巻末資料176ページ、合計1503ページの大著です。構想30年、執筆10年という一大研究成果に少々たじろぎましたが、前書きと第1章岩村の生涯、そして後書きを読み、この研究者にして書かれるべき本なのだと深く納得。全貌を紹介するのは私の手に余るので、まずは目次大項目を載せておきます。なお、巻末資料の「岩村透 全著作一覧」は、全て現物に当たって調査したという貴重な資料。手元にある米窪太刀雄『船と人』(中興館書店・誠文堂書店、1914)の序文もしっかり掲載されていました。
近代日本の美術思想:美術批評家岩村透とその時代
《上巻》
はじめに―美術百年の志…3
凡例…28
第I部 岩村透を読み直すために…29コラム1 岩村透の蔵書―明治大正期知識人の世界像…94
第II部 世紀転換期の美術批評と岩村透の仕事…113
- 第4章 美術批評はいかにして可能か…115
慶應義塾幼稚舎から東京英和学校へ/源泉としてのアメリカ留学/美術批評家への転身/源泉としてのラスキン/源泉としてのフィリップ・G.ハマトン/出発点としての青山学院/雑誌『美術評論』- 第5章 技芸家のための西洋美術史…163
東京藝術大学図書館所蔵―岩村関係資料/美校における西洋美術史/美校講義録「仏蘭西絵画史」/岩村の歴史認識と倫理/印象派、世界への波動を見る眼/岩村、現代画家に会う- 第6章 ボヘミアニズムの仕掛け人―「巴里の美術学生」の波及力…219
『巴里之美術学生』単行本まで/『巴里之美術学生』挿絵原本の発見/岩村透とアカデミー・ジュリアン/小説と美術家生活―ボヘミアン文学からパリ案内小説へ/明治期洋画家と社会/東京美術学校美術祭の意味/次世代が見たもの第III部 明治大正期の初期社会主義と美術批評…267
- 第7章 坂井犀水と初期社会主義
坂井犀水とは誰か/1905年の創刊ラッシュ/雑誌『月刊スケッチ』の人脈地図/志士の行程―内村鑑三『東京独立雑誌』から『東京評論』まで/『平民新聞』から大逆事件へ/児玉花外―初の発禁詩書とその波紋/再び『月刊スケッチ』へ―同情録・金尾文淵堂・白馬会/志士への友情- 第8章 岩村透と初期社会主義…321
明治期初期社会主義の性格/岩村透と週間『平民新聞』/芋洗仙人の美術論/「都市社会主義の位相―片山潜から安部磯雄へ/自由主義思想の人脈―雑誌『太陽』主幹・浮田和民/岩村透「ウィリアム・モリスと趣味的社会主義」解読- 第9章 先取られた追悼―森鴎外「かのやうに」における岩村透像…403
遺された者たち―永井荷風・平出修・岩村透/大逆事件と〈パンの会〉の構図/森鴎外「かのやうに」における岩村透像/先取られた追悼第IV部 前衛史観に抗して…433
- 第10章 『美術新報』改革とその戦略(1909-1913)…435
近代日本美術雑誌研究の現在/〈美術新報〉という運動体・再考/1910年という転機(1)大逆事件後の「美術と社会」/1910年という転機(2)ポスト印象派の時代に/前衛史観の傍らで―美術概念の拡張- 第11章 文展時代の〈小芸術〉―〈民藝〉直前の装飾美術運動…501
第10巻7号特集「新進作家小品展覧会」の思考/日本近代工芸史研究における空隙―大正改元期の意味/場としてのトポス/岩村透と日本の美術工芸―セントルイス万国博覧会(1904年)という転機/概念としてのトポス―『美術新報』における〈小芸術〉の展開/総合工芸家・岡田三郎助―創作家の感興としての〈小芸術〉/自由の天地―藤井達吉の述懐註(上巻)…617
巻末表(上巻)…672
《下巻》
凡例…22
第V部 美術行政とアーツマネジメントの先駆者…23
- 第12章 「美術問題」の輿論形成に向けて―〈時言〉〈週報言〉の戦略…25
大逆事件下の雑誌統制/都市社会主義と美術/〈時言〉の構造/『美術週報』発刊の意図/〈週報言〉の意図と執筆者/〈輿論〉形成のための美術批評/保証金支払い命令の背景- 第13章 海外美術情報の領分…63
近代日本の「アート・ドキュメンテーション」/海外美術情報収集の17年間(1899-1916)―『美術評論』から『美術週報』まで/森鴎外「椋鳥通信」(『スバル』1909-1914)の意味/海外美術情報への目覚め(「西洋雑事」「『美術評論』1899-1900)/世界美術史への窓(〈海外消息〉『東京美術学校校友会月報』1902-1914)/世界大戦下の欧州美術(芋洗〈海外近事〉『美術週報』1914-1916)/批評の一形態としての情報- 第14章 『日本美術年鑑』の100年―国内美術情報収集の意味とその継承者たち…129
雑誌『美術新報』の興隆と『日本美術年鑑』の発刊(1912年)/イギリス美術年鑑の啓示/言論と報道の領分―『早稲田文学』彙報欄のネットワーク/『日本美術年鑑』の100年―後継出版物の系譜- 第15章 美術行政とアーツマネジメントへのめざめ―国民美術協会という遺産…149
日本近代美術史の中の「国民美術協会」/設立の経緯と主な事業/1910年代日本の美術界での意味/美術行政とアーツマネジメントの発現―国民美術協会の美術史上の意義その1/1910年代工芸(装飾美術)運動の結実―国民美術協会の美術史上の意義その2/建築界と美術界の紐帯―国民美術協会の美術史上の意義その3- 第16章 美術と建築、技芸家と社会…207
岩村の「造家」趣味/岩村透の建築論とその土壌/渋谷村伊達跡の住人たち/吾楽会の時代―小芸術と〈美術建築〉の夢/明治大正期建築界における「芸術派」の再規定/建築論と美術ジャーナリズムの接近/建築界と美術界の紐帯―国民美術協会建築部の意義/「意匠」としての都市―都市の美観と都市社会主義の交差/建築家の職能と社会- 第17章 歴史が照らすもの―美術行政とアーツマネジメントの先駆者…341
現代日本の文化政策―二度目のオリンピックの時代に/文化芸術と社会―現代の学問諸分野と歴史研究の不在/文化経済学の源流としてのラスキン・モリス/岩村透の事業と思索―現代からの逆照射第VI部 途絶された旅路―岩村教授復職却下事件の真相…359
- 第18章 ボヘミアニズムの光と闇―岩村教授復職却下事件の真相と高等遊民問題…361
1914年9月 復職却下事件の謎/文官分限令というトリック―大学人統制の前史/大逆事件前後の芸術界と文部省施策/〈高等遊民〉論争/文芸自由論の展開―漱石・鴎外の応答/文展草創期の美術界と文部省政策/岩村透の文部省批判―国家と美術/- 第19章 幻の著作―ニ言語使用者の夢…415
〈美術紀行〉の領分/第4回渡欧(1914年)の軌跡―残された新出書簡から/〈旅中小感〉(1915年)―美術問題・現代欧州紀行・英仏比較文化論参考資料 本瑞寺岩村文庫所蔵 岩村透書簡A・B(長井久美子翻字)…446
- 終章 大樹の倒れたあとに―岩村透没後十年忌(1926年)本瑞寺所蔵追善作品群の意味…457
岩村透の死/大樹の倒れたあとに―黒田清輝「岩村透君を悼む」/黒田清輝寄贈油彩画の発見―「小船」(1894年)/早すぎた死―岩村透追悼行事と国民美術協会/本瑞寺所蔵岩村文庫・追善作品群の意味/藤島武二筆 墨画「観音図」(1926年)
コラム2 百年後の光輪―岩村透百回忌(2016年)法要および記念展覧会…500おわりに―一念の誠天地を動かすべし…518
註(下巻)…543
巻末表(下巻)…585巻末資料I~VIII…20~168
人名索引…2
白水社 上巻 https://www.hakusuisha.co.jp/book/b563831.html
下巻 https://www.hakusuisha.co.jp/book/b563833.html
情報発信と批評に関する文章
実はこの時代、森鴎外「椋鳥通信」(『スバル』連載、1909-1913年)が同様に西欧の文化情報を発信し、斎藤茂吉や與謝野晶子のような読者を夢中にさせていた。また夏目漱石がイギリスの美術雑誌『ステューディオ』の熱心な読者であったことはすでに知られている。知識人たちにとって海外情報を収集、紹介することは、リアルな国外情報に触れて知識を得、それを一般に啓蒙するという意図のみならず、情報の受信‐選択‐配列‐発信、という一連の作業が、ある種の世界観や歴史観、そして批評を形成しているという観点が重要なのである。岩村はおそらく、リアルなヨーロッパ美術情報に接する中から、美術行政やアーツマネジメントの動向を知って、これを日本に導入すべきであると思い至ったに相違ない。(p46)