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『雨の言葉:ローゼ・アウスレンダー詩集』を読む

『雨の言葉:ローゼ・アウスレンダー詩集』

詩人ローゼ・アウスレンダーを知ったのは、日経新聞連載コラム「詩探しの旅」でした。詩人の四元康祐が、母語を使えなかった詩人として紹介していたのです。ウィキペディアをみると項目はあるもののごくわずかで出典もありませんでしたので、英語版から翻訳して加筆してみました。

アウスレンダーは1901年にオーストリア=ハンガリー帝国のチェルノヴィッツで、ドイツ語を話すユダヤ人家庭に生まれました。長じてアメリカに渡り、英語とドイツ語で詩を書いていました。しかし病気の母親の世話のために帰国し、米国と行き来しているうちにナチス・ドイツの時代となり、強制収容所行きは免れたものの凄惨な時代を過ごします。戦後に再渡米すると、母国語であるのに殺人者の言葉となったドイツ語で詩を書けなくなりました。その後、アメリカ詩人マリアン・ムーアや、同郷の詩人パウル・ツェランに励まされたことで再びドイツ語での詩作を始め、1967年からはドイツのデュッセルドルフで晩年の多作な時代を過ごし、その地で没しました。

アウスレンダーという姓は最初の結婚相手のもので、3年ほどで離婚した後も彼女は使い続けていました。ドイツ語で「異邦人」「外国人」という意味なのですが、ユダヤ人という出自がどこの国に行っても異邦人扱いされる、という現実に正面から対峙していたと想像します。故郷のチェルノヴィッツユダヤ人、ルーマニア人、ドイツ人、ウクライナ人などが平和裏に共存していたそうですが、次第に反ユダヤ主義が広がり住みにくくなった様子が思い浮かびます。土地の所属もルーマニアソ連と移り変わり、現在はウクライナ領です。

詩人にとって母国語がいかに大切かは想像に難くありません。それを使えなくなるほど壮絶な経験をし、再度使えるようになるまでの精神の遍歴はただならぬものがあったことでしょう。幸いに晩年は平穏な生活が続き、ドイツで数々の文学賞を受けたことはなによりでした。日本語訳は1冊しか出ていませんでしたので図書館から借り、研ぎ澄まされた詩人の言葉を味わいました。訳者の加藤丈雄は、「人間に対する、そして言語に対する信頼そのものを根本から揺るがしたあの戦争体験をくぐりぬけ、もう一度手にしたドイツ語によるアウスレンダーの詩は、硬質のきらめきを静かに放っている」(p154)と書いています。

雨の言葉 : ローゼ・アウスレンダー詩集 / ローゼ・アウスレンダー 著, 加藤丈雄 訳編
思潮社, 2007.12
ISBN 978-4-7837-2875-7

■参考