Kadoさんのブログ

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アンドリッチ『ドリナの橋』

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 イヴォ・アンドリッチ著、松谷健二訳『ドリナの橋』(恒文社、1972)を読んだ。バルカン半島セルビアボスニアの間を流れるドリナ川に16世紀に架けられた石の橋の、4世紀のわたる物語である。16世紀当時はオスマン・トルコ帝国の時代で、ボスニア出身でオスマン・トルコの宰相に出世したソコルル・メフメト・パシャ(本の中ではメフメド・パシャ・ソコル)によって架けられた。彼に因んで橋は「ソコルル・メフメト・パシャ橋」(英語でMehmed Paša Sokolović Bridge in Višegrad)と呼ばれ、第一次、第二次大戦で被害を受けたがその後再建、2007年ユネスコ世界遺産に登録されている。全長約180メートルで、石組のアーチ11個に支えられている。
 24の章からなる物語は、橋が架けられたボスニアの町ヴィシェグラードを舞台に展開する。第4章までは16世紀の橋の建設の物語。第5から8章は17世紀から19世紀中葉にかけて、トルコ人がハンガリーを撤退し、セルビア人が反乱を起こし、大洪水に見舞われ、成就しなかった結婚式があり、多彩な人間模様が橋を中心に描かれる。第9から17章は19世紀後半から20世紀初めにかけて、トルコが後退しオーストリア軍が進駐、回教、キリスト教ユダヤ教の聖職者がオーストリア大佐を迎える話、橋に駐留した若者兵の物語、常夜灯、ホテル、酒場、水道、鉄道などが町の景観と生活を変えていく物語。第18から20章は1912年から1913年にかけてのバルカン戦争の時代、セルビアがトルコに勝利し、都会の大学で学ぶ学生たちが帰省して議論を戦わし、町の空気も変わっていく。そして第21から24章は1914年の第一次大戦勃発とオーストリア軍が撤退時に橋を爆破するまで。
 読後に一番感じたのは、人種と宗教のるつぼといえるこの土地で、人々が共存し平和に暮らしていたという点だった。さまざまな対立はあるにせよ、物語の基調に流れているのは「対立」ではなく「共存」だった。
 著者アンドリッチ(1892-1975)は少年時代をこの橋の町ヴィシェグラードで過ごし、毎日橋をながめていた。彼の耳には、橋をめぐり町の人々が語るたくさんの物語がはいってきていたに違いない。大学生の会話は著者自身の投影かもしれない。400年にもわたる壮大な物語の語り口はよどみなく見事である。彼がユーゴスラビアの外交官であり、1961年のノーベル文学賞を受賞しているのはうなずける。「共存」をテーマにした物語をつむいだのは当然かもしれない。なお原著は、第二次大戦が終了した1945年に発表されている。訳書の装丁は朝倉摂とあった。