Kadoさんのブログ

日々のあれこれを綴ります

山崎佳代子と四元康祐

山崎佳代子『そこから青い闇がささやき』

合唱作品の楽譜の目録をとっていて詩人の山崎佳代子を知りました。詩のテキストは『薔薇、見知らぬ国』という詩集からとられており、解説には「詩人の山崎佳代子はベオグラード在住。空爆下のベオグラードで、戦火に耐えながら、平和をこころから望んでいた市井の人々。「生きる」と言うことの困難さと素晴らしさを音楽を通して訴えかけている作品」とあります。調べると1956年生まれで、ユーゴスラビア文学を研究し、ベオグラード大学で教鞭をとっているとのこと。こういう日本人がいることに感銘を受けました。そんな折、日本経済新聞の金曜夕刊にコラムを書いていることがわかり、ユーゴスラビアで出会った人々との交流を綴った文章を毎週楽しみにしていました。

それとは別の合唱作品では、ドイツ在住の詩人四元康祐を知りました。こちらは日本企業の駐在員として仕事の傍ら詩作を続け、ある時から詩人として独立したとのこと。そしてこちらも日経新聞の日曜文化欄にこの4月からコラムを書き始め、谷川俊太郎の名代としてマケドニアのストルガ国際詩祭に参加した経験を綴っていて、これも毎週楽しみでした。

その日曜コラムの中に、四元さんが山崎さんの『そこから青い闇がささやき』(河出書房新社2003年)というエッセイを読み、会いたいと思ってストルガへ行く途中で訪ねた話が載っているではありませんが。こんなに驚いたことはめったにありません。このエッセイは絶版で古書店にもでていないので、図書館で借りてきて読みました。内容は1990年代のユーゴスラビア内戦での経験を綴ったもので、経済制裁NATOによる空爆が市民生活にいかに打撃を与えたか、心に染み入る文章で語られています。現在のウクライナやロシアの市民生活も多かれ少なかれ同様の状況と思われ、何度もため息をつきました。

二つのコラムはまだしばらく続く様子なので、この先も目を凝らしていこうと思っています。

メモ

  • 向日葵が大きな花をつけ、深紅の薔薇が生い茂り、甘やかな香を漂わせていた。私たちを誘うのか、家人を待つのか……空間が生命に満ちているのは、植物のせいだ。(p94)
  • 絶えず国境が描き換えられてきたこの地では、歴史と個人の運命の関わりを描き上げた秀作をつぎつぎと生み出してきた。それが多くの人々の血の代価を払って得たユーゴスラビア文学の美しさであり、それが読む者の胸を打つのである。憎悪と愛、別離と共存、寛容と排斥……この相反する本能は、この土地にあって、あたかもコインの両面のように存在している。憎悪だけが本質なのではないし、愛だけが本質なのでもない。どちらも真であり、どちらも虚なのである。そしてコインを投げるのは、しばしば「よそ者」である。ともに生きていかなければならないのも事実であるが、一緒に生きていくことができないような、恐ろしい状況が地殻変動のごとく周期的にこの地を襲うのもまた、事実なのである。(p115-116)

更新履歴

  • 2022.5.31:「メモ」を追加。図書館から借りた本なので次の予約がはいっていて延長できなかった。付箋をはったところをメモに残す。しかし予約がはいって次の人が読んでくれるのはうれしいこと。