Kadoさんのブログ

日々のあれこれを綴ります

中野京子『怖い絵』と堀田善衛『美しきもの見し人は』

f:id:lucyblog:20150812191001j:plain 中野京子『怖い絵』を読み終わる。ヨオロッパの文化遺産を久しぶりに堪能。参考文献をみたら堀田善衛『美しきもの見し人は』が入っていて、おもわずうなずいてしまった。堀田の本は1975年の刷を持っているので、たぶんその時期に読んだ。その後朝日選書の文庫本が1995年に出たのでそれも買って読み直した。文庫の方はなぜか手元に見当たらないので、2冊の写真を載せておく。

怖い絵 / 中野京子角川書店, 2013)264p (角川文庫)
目次:
まえがき…7
作品1 ラ・トゥール『いかさま師』…12
作品2 ドガ『エトワール、または舞台の踊り子』…24
作品3 ティントレット『受胎告知』…36
作品4 ダヴィッド『マリー・アントワネット最後の肖像』…46
作品5 ブロンツィーノ『愛の寓意』…56
作品6 ブリューゲル『絞首台のかささぎ』…66
作品7 クノップフ『見捨てられた街』…76
作品8 ボッティチェリ『ナスタジオ・デリ・オネスティの物語』…86
作品9 ホガース『グラハム家の子どもたち』…98
作品10 ゴヤ『我が子を喰らうサトゥルヌス』…110
作品11 ベーコン『ベラスケス<教皇インノケンティウス十世像>による習作』…122
作品12 アルテミジア・ジェンティレスキ『ホロフェルネスの首を斬るユーディット』…134
作品13 ムンク『思春期』…146
作品14 ライト・オブ・ダービー『空気ポンプの実験』…156
作品15 ホルバイン『ヘンリー八世像』…168
作品16 ジョルジョーネ『老婆の肖像』…180
作品17 ルドン『キュクロプス』…194
作品18 コレッジョ『ガニュメデスの誘拐』…204
作品19 レーピン『イワン雷帝とその息子』…216
作品20 ゴッホ『自画像』…226
作品21 ジェリコーメデューズ号の筏』…238
作品22 グリューネヴァルト『イーゼンハイムの祭壇画』…248
解説 / 逢坂剛…260
参考文献…265

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 堀田善衛(1918-1998)の本には、タイトルの元になったプラーテンの詩『トリスタン』を元のドイツ語でタイプ打ちした紙がはさまっていた。ロマン派についての独文科の講義で紹介された詩を自分でタイプ打ちしたもの。ヨーロッパのトリスタン伝説はワーグナーの楽劇になり、トーマス・マンの短編『トリスタン』に現れ、長篇『魔の山』のモチーフとなった。

美しきもの見し人は / 堀田善衛(新潮社, 1969)334p
目次:
序…15

  1. アルハンブラ宮殿…18
  2. ガウディのお寺…27
  3. 天壇をめぐって…50
  4. 移民族交渉について…63
  5. アフリカの影…76
  6. 黙示録について…89
  7. Fete galante ワットオの黄昏…111
  8. ヴェラスケスの仕事場に私の派遣したスパイ…125
  9. 楽園追放 アダムとイヴ…146
  10. ヴェネツィア画派の栄枯盛衰について…158
  11. アルビにて 陸上軍艦とロオトレック…172
  12. 美し、フランス La douce france…185
  13. 間奏楽 人と馬…205
  14. クロード・ロラン 泰西名画について…217
  15. 二つのドイツ…229
  16. 一つの極限について フランシスコ・デ・スルバラン…249
  17. 夜の王国、あるいは乱世の画家 ジョルジュ・ド・ラ・トゥール…262
  18. モナ・リザには眉がない…275
  19. 肖像画 対話あるいは弁証法について…288
  20. 常識のために 絵の具の話…308
  21. Ave Maria 受胎告知画…320

あとがき…332

間所沙織年譜

 2009年に横須賀美術館で開催された展覧会のカタログに載っていた年譜から抜粋してみました。作品は最初のいくつかを掲載したもので、主要作品というわけではありません。

西暦 年譜 展覧会出品作品より
1924 5月24日愛知県に生まれる。父・山田台一は職業軍人
1942 東京府立第二高女卒業。
1944 父が戦死、戸主となる。
1947 東京音楽学校本科声楽部卒業。
1948 作曲家芥川也寸志と結婚。長女出産。
1950 ロウケツ染を野口道方に、絵画を猪熊弦一郎の研究所に通って習い始める。
1953 第17回新制作協会展に出品。 「自画像」
1954 第6回日本アンデパンダン展に出品。第4回モダンアート協会展に出品、新人賞受賞。初個展。女流七人展。夫と中国・ソ連・東欧を旅行、これをきっかけに民話をテーマに作品を手がける。 「窓」「立っている人」「変身」「女」「断層」「化石」
1955 第5回モダンアート展出品。次女出産。第7回アンデパンダン展出品。岡本太郎主宰「実験茶会」に招待される。第40回二科展岡本太郎室に出品し、特待賞受賞。第2回個展。 「女の扉」「四人」「「女I」「女II」「女B」「民話君不去入れする弟橘比売命」「イザナギノミコトの国造り」
1956 第1回4人展。岡本太郎主宰の現代芸術研究所メンバーが浴衣デザイン。二科春季展。第10回女流画家協会展。九人展。第4回平和美術展。第41回二科展。 「ヤリを射立てられた大ムカデ」「大木ニハサマレタ若い神」「神話 神々の誕生」「羅生門の鬼退治」
1957 アートクラブ展。第3回個展。芥川と離婚。第11回女流画家協会展で船岡賞受賞。新鋭作家展。第9回日本アンデパンダン展。第42回二科展。 古事記より」「大蟹譚」「喰う」
1958 二科春季展。第12回女流画家協会展。第43回二科展。二科落選五人展。 「トリ」「笑う」「太陽とマリオネット」
1959 第13回女流画家協会展。訪米し翌年までロサンゼルス、アートセンタースクールでグラフィックデザインを学ぶ。ロス・カウンティムージアム公募展入選。
1960 ニューヨーク着。第14回女流画家協会日米交歓展に在米出品者として参加。
1961 ニューヨーク、アートステューデントリーグのウィル・バーネット教室で油彩を学ぶ。
1962 帰国。第4回個展に滞米中の作品を出品。
1963 第17回女流画家協会展。建築家間所幸雄と結婚。 「黒いシェーブ」
1964 第18回女流画家協会展。 「赤と黒」
1965 第19回女流画家協会展。 スフィンクス
1966 1月31日病没。


出典:芥川沙織展. 横須賀美術館編. 横須賀美術館一宮市三岸節子記念美術館、2009年. 111p. 展覧会カタログ ; 2009年2月14日-3月22日横須賀美術館、5月16日-6月21日一宮市三岸節子記念美術館

藤田嗣治と間所沙織

f:id:lucyblog:20150811134235j:plain 東京国立近代美術館の所蔵作品展「MOMATコレクション 特集:誰がためにたたかう?」を観に行きました。最初の部屋にあった原田直次郎『騎龍観音』(1890)はさすがの迫力でしたが、おめあての藤田嗣治アッツ島玉砕』(1943)のこれでもかという筆致には圧倒されました。近くでみるとどこまでも暗いのに、ちょっと離れるとなぜだかそうでもない。新聞評で読んだ小さな花も確かに描かれていました。どうしてこれが戦意高揚になるのかわかりません。
 ぼーっとして隣の部屋に入ると、今度は岡本太郎(1911-1996)の強烈なエネルギーが爆発していました。それと共に展示されていたのが、間所沙織(まどころ・さおり、1924-1966)の絵。解説から抜粋を載せておきます。

太平洋戦争への従軍経験を持つ岡本と、戦時下に青春を過ごした間所沙織。彼らは1950年代、戦争を引き起こした前の世代に挑むように、一気に大胆な表現を打ち出します。しかしその中で岡本は、戦争や原子力のうちに姿を現す、人間を破滅へ導きかねない巨大な力の存在に、複雑な魅力を感じてもいたようです。アメリカの原爆実験をテーマとした《燃える人》では、神秘的ともいえる原子力エネルギーへの恐れと期待が描かれています。一方、間所にとって人智を超えた神秘的なものとは、すべてのものごとのみなもとに位置する女性と考えられていたようです。

 間所の作品は、『女(B)』(1955)、『神話 神々の誕生』(1955)、『神話より』(1956)の3点が展示されていました。なるほど岡本に勝るとも劣らないエネルギーの塊でした。
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平成27年度第1回 所蔵作品展 「MOMAT コレクション」出品作品リスト
http://www.momat.go.jp/am/permanent20150526_list27-1/

 なおこの展覧会はいくつかの例外作品を除いて撮影OK。接写やフラッシュはダメ、他の人の顔は撮らない、商用はダメ、などの制限はありましたが、基本的にOKにすることを選んだ美術館に拍手です。
東京国立近代美術館の「館内における写真撮影等の注意事項」PDF
http://www.momat.go.jp/cg/wp-content/uploads/sites/4/2015/01/note.pdf
http://www.momat.go.jp/am/exhibition/permanent20150526/

エリオットと大江健三郎

 T.S.エリオットに出会ったのは、独文科3年生の時だった。英文学にすこし興味がわき、とった講義にエリオットの『荒地』がでてきた。出だしの「4月は最も残酷な月」(April is the cruellest month)は有名だが、難解な詩でほとんど理解できなかった。ただ長い詩の一番最後が「シャンティ シャンティ シャンティ」で終わることは記憶に残った(シャンティはサンスクリット語で「平安」の意味)。
 2010年に芥川也寸志のオペラ『ヒロシマのオルフェ』を演奏した時、テキストを書いた大江健三郎についていろいろと調べてみた。すると大江が『荒地』を始めエリオットをたくさん引用しているのを知った。大江の初期の短編「上機嫌」の中に、ジャズの描写でつぎのようにでてくる。

……そのわたしの耳にジェリイ・マリガンとチェット・ベエカーのコンボのドラムス、ラリイ・バンカーのドラムの音は初期のバップのリズムで勢いよく、与えよ(ダッタ)、共感せよ(ダーヤヅヴァム)、自制せよ(ダムヤーク)、とささやきかけるのだったし窓にあたる雨の音は平安(シャンティ)、平安(シャンティ)、平安(シャンティ)と歌ってた!

出典:大江健三郎『見るまえに跳べ』(新潮文庫、2000)所収「上機嫌」p300

この(ダッタ)(ダーヤヅヴァム)(ダムヤーク)と、(シャンティ)(シャンティ)(シャンティ)はまさにエリオットそのままである。

lucyblog.hatenablog.com

八月や六日九日十五日

f:id:lucyblog:20150808063255j:plain八月や六日九日十五日 荻原枯石(おぎわら・こせき)。忘れ得ぬ日々は既に足利の俳人が句にしていた。私は日航機事故の12日も加え毎年祈りの日としている(どの日も直接の縁はないが)。我が家は4人のうち3人が8月生まれで、8月は誕生と鎮魂の月である。そういえば長男の連れ合いも8月生まれだ。写真はベランダの日日草。
 8月13日は指揮者・山田一雄先生と、オーケストラの仲間だった上原誠さんのご命日。この日も特別。

宮柊二の短歌

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 日本経済新聞2015年3月1日詩歌・教養欄の連載最終回の最後のところをメモしておきます。

宮柊二(4)戦場からの手紙:無名兵士の覚悟うたう(愛の顛末 / 梯久美子

 戦火をくぐり、おびたたしい死を見てきた柊二にとって、わが子の誕生はどんなにか嬉しい出来事だったろう。
 この翌月に戦争は終わった。柊二は昭和61年に74歳で没するまで、戦後短歌を文字通り牽引した。数多くの名歌を残したが、晩年にこんな歌を発表して話題を呼んだ。
《中国に兵なりし日の五カ年をしみじみ思う戦争は悪だ》
 まっすぐな詠みぶりに、体験の重みと、時を経ても褪せることのない実感がにじんでいる。兵士として戦場の生死を見定めようとした青年の日の覚悟は、最後まで太い背骨となって宮柊二の人生を貫いた。