Kadoさんのブログ

日々のあれこれを綴ります

『やっちゃ場伝』

f:id:lucyblog:20150101184146j:plain 築地市場を見に行ったら急に市場のことに興味がわき、手元にあった『やっちゃ場伝』を読んでみました。これは神田にあった青物市場の歴史を、競り人である代々の伊勢長の目を通して語ったもの。江戸時代初期に神田多町あたりにつくられた青物市場が、昭和の初めに秋葉原に移転し、平成を迎えるころまでの内容。

やっちゃ場伝:競り人伊勢長日誌 / 神田川菜翁
 東京 : 小江戸青物研究連, 1993
 229p ; 20cm
 注記: 発売: 農山漁村文化協会 (東京)
 目次:
第1話 一声千両…9
 元禄十五年師走、雪の神田市場…10
 伊勢から来た、多町やっちゃ場初代たち…12
 幕府青物役所より、初物売り日のお達し…17
 市場に大八車が登場した年…19
 江戸町人文化は八辻ヶ原やっちゃ場から…21
 熱海の温泉湯と相州みかん船、春日局…23
 紀文みかんの一番競り…25
 年末みかん、そっくり買い占めた奈良屋茂左衛門…30
第2話 一富士、二鷹、三茄子…37
 浅間山の噴火で、やっちゃ場灰だらけ…38
 大飢饉を救った、サツマ芋…42
 西瓜賭博は御禁制…43
 堂島米取引会所の通信法を使った、奈良屋茂左衛門の「光信号」…45
 桜吹雪、遠山金四郎時代の市場…50
 天保のやっちゃ場社員教育講習会と、女小円朝つる女の市場講談…53
 市場符丁と隠語…57
 初夢と、茄子の名産地…62
第3話 大根一本、千六本…69
 桃栗三年、柿八年、青梅の里は平将門の里…70
 車押し屋と“やま”廻り…74
 将軍の脚気を治した、練馬大根…77
 とうへんぼくの土手南瓜…79
 大内内蔵助はジャガ芋を食べていた…82
 味噌汁の実を繊蘿蔔(センルオポウ)に刻む…85
第4話 乃木大将とみかん…89
 江戸から東京へ…90
 神田市場の紀州、京大阪見学旅行…92
 「奈良の大仏さん」秘話…94
 大阪市場の始まり…96
 江戸(多町)、浪速(天満)市場における市場の仕組みと取引方法…99
 大阪市場の符丁さまざま…101
 伝統の<家訓五ヶ条>と薄利多売の大阪商法…105
 大塩平八郎の乱と野菜一揆…107
 明治の頃の青物の種類…112
 明治御維新以後のやっちゃ場は…114
 二十世紀初頭の「野菜」需要の変化…116
 神田川の下肥え船…124
 乃木大将と蜜柑…126
 野菜と果物は、何に効く…130
第5話 りんご可愛や…135
 昔恋しい銀座の柳とともに、市場移転す…136
 サンキストレモンと洋食革命…140
 昭和初期の食生活…143
 本邦初の、青物航空機宣伝…148
 終戦時、屋根穴だらけの神田市場…151
 統制切符の野菜配給、一週間でサツマ芋二本…154
 戦後期の青物値段…159
 日本初のジューサーは、戦闘機のプロペラで…163
 マッキントッシュとニュートンの法則…165
 戦後十年、昭和三十年代前後の市場事情とやっちゃ場の殉職者…168
 メートル法の施行で大変わりした市場…172
 七人の侍たちとみかん名産地…180
第6話 青物千一夜…187
 大仏殿青物講座…188
 柿食えば、体健康(すこやか)、法隆寺…196
 平安遷都以来、千年の歴史「京都朱雀市」…198
 京都の市場符丁…200
 関東市場の符丁のすべて…202
 小江戸青物研究連、発足す…208
 八百屋に語りつがれる八百屋の“八百長”…210
 この病気にはこの果物を…213
 処女懐胎する不思議な果物は…216
 マスクメロンは麝香の香…217
 元の黙阿弥売り…219
 玉葱がアメリカの歴史を変えた?…221
 大石“東下り”の一席…224
おわりに―“商遊学”とは、やっちゃ場学…227

NDL-OPAC

今年のお節

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一の重:栗きんとん、黒豆、伊達巻、蒲鉾、昆布巻き、たたきごぼう
二の重:酢だこ、紅白なます、カリフラワーとブロッコリーの酢の物 
三の重:お煮しめ(里芋、手綱こんにゃく、ゴボウ、京人参、レンコン、干しシイタケ、きぬさや、高野豆腐)

 家族はもうお節料理などあまり楽しみにしていないのですが、一昨年姉の近くに越してきてから、一人暮らしの姉のところに重箱に詰めて届けるようになりました。昨日朝からお煮しめと酢の物を作りました。口取りはたたきごぼう以外は市販品です。母は煮物の他にも黒豆や昆布巻きなど作っていましたが、私はせいぜい煮しめくらいです。それでもこうして年に一度お節を準備していると母の姿を思い出します。同時に野菜の卸売を仕事にしていた父のことも思い出します。父は隣の魚市場からマグロやタコも買ってきて正月に皆でいただきました。

煮〆して父母想う大晦日

築地市場見学記

f:id:lucyblog:20141222110050j:plain 12月22日月曜に築地の市場へ初めて行った。地下鉄大江戸線築地市場駅を出ると、すぐに築地市場正門がある。トラックが出入りする大きな入口。午前11時だったので中へ行く人よりも仕事を終えて出てくる人の方が多い感じだった。入り口に置かれた地図と注意書きのパンフには「ここで行われていることは、ショーではなく、ビジネスです。皆さんは、ここで働いている人たちを尊重し、彼らのビジネスの支障にならないようにしてください。」と日本語、英語、ロシア語、中国語、韓国語で書かれていた。朝9時からは一般の人も見学に入れるとのこと。
 早速中へ入り、まず野菜の市場へ行く。築地は魚だけで野菜は大田市場へ移ったと思い込んでいたが、野菜の市場もちゃんとあった。見学できるのは「青果仲卸業者売場」のコーナーで、何十軒もの仲卸業者が店を広げていた。ここへ小売業者、つまり町の八百屋さんが買い付けに来るのだ。もう取引の時間は過ぎているのか、見学の人たちと行き違う。おばさんが多い。中国語も聞こえる。アメリカ人らしき親子連れもいた。荷物を運ぶ電動の小型車がひっきりなしに行き交う。市場の人たちは皆見学者に優しい。
 魚市場の方へも行く。こちらも入れるのは「水産仲卸業者売場」のみ。青果より3~4倍広い敷地に業者が並んでいる。水で道路を洗っているのか路面は水浸し。見学者も購入できるらしく、新鮮な水産物がたくさんならんでいた。値段は特に安いわけではない。
 f:id:lucyblog:20141222120411j:plain 一通り見たところで隣の「魚がし横丁」へ移動。こちらは市場で働く人たちのための飲食店がずらりと並んでいて、見学者もたくさん行列を作っていた。長い列はどこも魚介の店で、列が無いのはトンカツ屋。そこへ入ってアジフライ定食を食べた。場外市場ものぞいてみたら、年末の買い出し客でごったがえしていた。
 帰ってからネットであれこれ調べてみると、東京都中央卸売市場には全部で11の市場があり、築地と大田の他にも北足立、足立、板橋、豊島、淀橋、葛西、世田谷、多摩ニュータウン、そして食肉の市場があることがわかった。大田市場の青果は秋葉原にあった旧神田市場が移転したのだった。築地の豊洲移転についても情報が載っていた。
 
東京都中央卸売市場>見学のご案内
http://www.shijou.metro.tokyo.jp/kengaku/

 

お祝い

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 今日は長男が婚姻届を出す日だった。今どきの若者は結婚式などしないらしい。しょうがないなあと思ったが、口出しすることもあるまいとだまっていた。セレモニーがないと感激も薄いものだ。3年前から家を出て別に住んでいるから、今日は顔を見ることもない。
 ところが、朝9時過ぎに「いま婚姻届を出してきました!」と長男からFacebookのメッセージがきたら、思わずメガネがくもってしまった。やはり感慨深いものがある。SNSで連絡とは全く今風だ。といって特別にやることもないので、花屋へ行ってミニシクラメンの鉢植えを買ってきてプランタに移してみた。ささやかなお祝い。

オランダの話

 Forsightを開いてみたら、西川恵さんの記事が飛び込んできました。

オランダ新国王も引き継いだ「日蘭」恩讐を越える道
饗宴外交の舞台裏(197)
オランダ新国王も引き継いだ「日蘭」恩讐を越える道|Foresight(フォーサイト)|会員制国際情報サイト

 第二次大戦中のインドネシアの話、心に刻んでおきたいと思います。

中川ひろたかの本

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 子どもの歌のシンガー・ソングライター中川ひろたかさんの本。

『中川ひろたかグラフィティ:歌・子ども・絵本の25年』(旬報社、2003)
『ピーマンBOX:中川ひろたか博覧会』講談社、2007)

 最初の本は自伝的エッセー。本の間に2003年6月5日の東京新聞の記事コピーがはさんであったので、それで知って買ったのでしょう。保父を手始めに子どものための歌を書きバンドで歌い、絵本も書き、全国をツアーしている中川さん。私の大学サークルの後輩でしたが、その後は音信不通。2007年に出た『ピーマンBOX』を入手したのをきっかけに、鎌倉文学館の彼の展示を見学、近くでご本人がやっているSong Book Cafeを訪問し、何十年かぶりに再会!
 『グラフィティ』には二カ所に付箋が貼ってありました。まずは「カラヤン」。

カラヤン
 (前略)
 大学もオーケストラ部に入った。そこでもホルン。その年の定期演奏会は、ベートーベンの「第九」。ぼくは、一年生。下手だったので演奏はさせてもらえず、合唱にまわされた。毎日毎日、その定期演奏会のための練習がつづく。そんな折、あのカラヤンが、ベルリンフィルを従えて日本にやってきたのだった。
 (中略)
 その、カラヤンが来るという日、ぼくたちは、二時間以上も前から集まって「第九」の第一楽章の練習をしていた。ぼくと荻迫くん、二人の一年生ホルン吹きは合唱担当だったので、出席することもなかったのだが、一応ホルンのパートは四人になっているし、(ベートーベンが、決めたのね)いないのは、みっともない。アタマ数だけでもそろえておこう。どうせ第一楽章には、三番、四番は出番はないし、ただ座っていればいいからと先輩に言われて、三番の席に荻迫、四番の席にぼくが、それぞれちんまり座っていると、やってきました。カラヤンだぁ。かっこいいんだぁ。後光がさしているんですよ。ウッヒョーってな感じなわけ。
 うちの指揮者があがってる。唇が乾くのか、ずっと舌なめずりしている。その指揮者から指揮棒を受け取るとカラヤンさん、指を三本立てた。「なぬー!三楽章!」やばいなんてもんじゃない。第三楽章には、なぜだか四番ホルンにものすごい長いソロがあるのだ。(ベートーベンが、決めたのね)。それはそれは美しく、ホルン吹きだったら一度はやってみたいとこ。それを、このぼくが、しかもカラヤンの前で、初見で吹かなければならないなんて。あわわとふるえていると、一番ホルンの安部さんはやおら振り返り、自分の一番の譜面とぼくの四番の譜面を、さっと差し替えた。安部さんは当時の大学オーケストラでは、最高のホルン吹きと言われた人。彼なんかこそ、カラヤンを聴いて育った人なわけだ。ここで、朗々と美しくホルンを演奏すれば、もしかしたら、終わったあと、あ、あのホルンの人、ベルリンフィルに来てもらいます、なんてことになるかもしれない。聞いてないけど、きっとそう思ったはず。
 (後略)(p27-32)

 結局カラヤンは三楽章の冒頭数小節を指揮しただけで終わり、ホルンのソロの出番はありませんでした。しかし私たちは翌1974年ベルリンで開催の青少年オーケストラ音楽祭に招待されたのでした。
 続いて「谷川さん」と題した谷川俊太郎の章にも付箋。これは大学中退までのいきさつから始まって、谷川俊太郎のサイン会へ行ったこと、谷川の住んでいる阿佐ヶ谷へ引っ越したことなどが縷々綴ってありました。家を出るいきさつが傑作。

 むくむくと自立の心がもたげてきた。そして、決意した。大学は辞める。そして、家を出ようと。
 一度思うと、いても立ってもいられないのはこの頃から一緒で、それを両親にうち明けた。そうしたら、父親は「家を出るのはいいが、学校はつづけろ」、母親は「学校は辞めてもいいが、家にいなさい」と言った。ぼくは二人の言うことを聞いて、学校を辞めて家を出た。(p55)

SONG BOOK Cafe http://www.songbookcafe.com/

鎌倉文学館 平成19年度の展覧会
http://www.kamakurabungaku.com/exhibition/h_19.html

イスラムについての本

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 本日8月24日(日)日本経済新聞読書欄コラム「今を読み解く」は、「溶解始まる中東の秩序:歴史探る深い思索必要」と題して次の書籍を紹介していた。中東で現在進行中の変化をとらえ、「こうした時代の根幹を揺るがすような動きを理解するために求められているのは、深い思索に支えられた大きな知の枠組みであろう。これほどの大きな時代の変化をとらえるには、それに負けないほどの大きな知的な座標がいる」としている。

ユージン・ローガン『アラブ500年史』上・下(白須英子訳、白水社、2013)
山内昌之『中東国際関係史研究』岩波書店、2013)
小杉泰『9・11以後のイスラーム政治』岩波書店、2014)
内藤正典編著イスラーム世界の挫折と再生』明石書店、2014)

 学生時代にひょんなことからトルコ語を選択して半年ほど基礎を習い、イスラムの価値観の一端に触れたことがある。その後は特に縁がなかったが、教文館で中学生向けの本のお奨めを聞いて紹介された野町和嘉『メッカ:聖地の素顔』(カラー版岩波新書、2002)にはすっかり引き込まれてしまった。また今月の日本経済新聞私の履歴書」は東大寺長老の森本公誠氏だが、京都大学イスラム史を専攻し、エジプトに留学してエジプト税制史で博士論文を書かれた。そのような知性が東大寺におられることに驚嘆した。今日あげられた上記の本も機会があったら手にしてみたいと思う。