Kadoさんのブログ

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『Horizont:都立九段高校演劇部舞台写真集』

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Horizont:都立九段高校演劇部舞台写真集

東京都立九段高等学校(戦前は第一東京市立中学校、東京都立九段中学校)演劇部の、1927年から1987年までの60年に渡る活動をまとめた写真集。年代順に置かれた公演の舞台写真に添えて、タイトル、作者、台詞抜粋、スタッフ、キャストが付されている。巻末の「九段演劇小史」では、戦後40年の歩みを10年ごとに区切り詳述している。

Horizont:都立九段高校演劇部舞台写真集

九演会 1989
143p

目次

prologue 写真集によせて

act-I 戦前の公演より

  • 同志の人々…14
  • 城山の月・兄弟とその父…16
  • 三等水兵の日記…17
  • 戦前の上演記録(昭和2年昭和12年)…17

act-II 戦後40年の歩み

1946・昭和21年 坊ちゃん…20
1947・昭和22年 乞食と夢…22
1948・昭和23年 28歳の耶蘇…24
1949・昭和24年 挿話―エピソード…26
1950・昭和25年 崑崙山の人々…28
1951・昭和26年 邯鄲…32
1952・昭和27年 天狗三郎伝…34
1953・昭和28年 蟻部隊…36
1954・昭和29年 三角帽子…38
1955・昭和30年 幸福家族…40
1956・昭和31年 あべこべ人生…44
1957・昭和32年 ハンネレの昇天…48
1958・昭和33年 国境の夜…50
1959・昭和34年 戸口の外で…54
1960・昭和35年 死の勝利…58
1961・昭和36年 ゼランジャ城の幽霊…62
1962・昭和37年 砂の城…66
1963・昭和38年 ノアの十字架…70
1964・昭和39年 雪の亜麻呂…74
1965・昭和40年 太鼓…78
1966・昭和41年 邯鄲…80
1967・昭和42年 ベルラックのアポロ…82
1968・昭和43年 スィート・マルゼン…84
1969・昭和44年 人魚ひめ…86
1970・昭和45年 陪音…90
1971・昭和46年 天国への遠征…92
1972・昭和47年   上演なし…94
1973・昭和48年 堕天使…96
1974・昭和49年 狂人教育…98
1975・昭和50年 国道の幽霊…100
1976・昭和51年 おくれゐて…102
1977・昭和52年 ガラスの動物園…104
1978・昭和53年 廬山夜雨…106
1979・昭和54年 マッチ売りの少女…108
1980・昭和55年 眠れるチエ…110
1981・昭和56年 ある死神の話…112
1982・昭和57年 にび色の砦…114
1983・昭和58年 Z:ツェット…116
1984・昭和59年 Dark Screen…118
1985・昭和60年 神無月…120
1986・昭和61年 闇は裂けよ、地の底の…122
1987・昭和62年 ファンタスティックス…126

act-III 現在、そして未来へ

  • さらなる未来へ / 小森昭宏…132
  • さあ、明りを舞台に入れようではないか! / 森本紘章…132
  • 高校演劇の歴史をひもといて / 西川牧子…133
  • 青春の夢を追って / 熱田陽子…134
  • 九段演劇小史(付年表) / 五十殿利治…135

澤地久枝『琉球布紀行』

澤地久枝琉球布紀行』とブックカバー

先日の演奏会の後、聴きにいらしたYさんがブックカバーを差し入れてくださった。しっかりした生地はリバーシブルで、裏は「琉球織物」と書いてあった。裏の手触りがいいので裏返し、さて何の本に掛けようかと書架を見たら、澤地久枝琉球布紀行』(新潮文庫 2004)が目に留まった。新書用のカバーだが、文庫に掛けてみた。

2013年11月に初めて沖縄へ行った帰りの那覇空港で、何か沖縄らしい本を探していて見つけた本。和装の生地について知識はなかったが、現地を取材し自らも和装を続けている澤地の筆致にぐいぐい引き込まれてしまった。久しぶりに開いて「奄美大島紬」の章を読み返してみた。

サトウキビと大島紬で支えられてきた奄美諸島だが、砂糖の価格低落の一方で大島紬の重要性はゆらいでいない。糸を紡ぎ色を染め、反物に織り上げる仕事は一人ではできず、男も女も参加する分業で成り立っていて、それぞれが入念に仕事を積み重ねている。織り手は80代を超える女性もいるが、「力みもせず、淡々として杼(ひ)を通し、筬を打つ手は狂わない。高齢なのにと思う方が間違いで、多年身につき、精神集中を要するこの手仕事こそが、年齢を超えさせているのだ。」(p100)

この時の旅行に同行したTさんは、先日の演奏会に琉球紬を着てきてくださった。和服を着たいとは思うが、私の人生では着る機会はもうないかもしれない。せめてブックカバーは大切にしたい。

安彦良和『虹色のトロツキー』

安彦良和虹色のトロツキー』愛蔵版 双葉社 2010

安彦良和(1947-)は「機動戦士ガンダム」のキャラクターデザインで知られる漫画家。我が家では次男がガンダムにはまっていたので、私も少し興味を持っていた。
ウクライナ、東プロシア、ガンダム

2006年秋の図書館総合展で、その安彦氏が登壇するフォーラムがあるというので、出かけて行った。フォーラムのテーマは「海を渡った若者たち」。安彦氏は「漫画で描こうとした大陸と日本青年」という題で、自作の漫画『虹色のトロツキー』について語られた。

フォーラムの中心は東亜同文書院という、日本人が上海に1901年に設立した商業学校のことだった。毎年日本から商家の俊英な若者が海を渡り、多くを学んでその後の日中の経済活動の担い手となって行った。1945年の終戦で学校はなくなり、45年にわたる学校の資料は関係者が大切に持ち帰り、愛知大学に継承された。渋沢栄一は東亜同文書院にも多少の関りがあったので、その点からも興味があった。

安彦氏の『虹色のトロツキー』は、1990年11月から1996年11月にかけて潮出版社の月刊漫画雑誌『コミックトム』に連載されたもので、その後書籍や文庫になっていた。2010年になると全4巻の愛蔵版が双葉社からでたのでそれを入手、一気に読んでしまった。

舞台は1938年満州に設立された建国大学。日本人を父にもつ日蒙二世青年であるウムボルトが、関東軍の密命に身を投じ、歴史の激流に翻弄されるという物語。登場人物は石原莞爾辻政信東条英機川島芳子李香蘭など。満州のことは『王道楽土の交響楽』を通じてしか知らなかったので、歴史の中心に何がうごめいていたのか、呆然としながらページを繰ったことだった。ノモンハンの地で終わることから、その後ノモンハン事件についても興味が広がった。
『王道楽土の交響楽』目次一覧

その後、2010年から2018年まで6回大連に旅行することになったのも、この漫画の影響があることは間違いない。
大連国際音楽倶楽部2011
大連演奏旅行余話

■『虹色のトロツキー』各巻巻末に置かれた小文

図書館総合展特別フォーラム

2006年11月2日(火)
パシフィコ横浜アネックスホール第5会場
テーマ「海を渡った若者たち」
・漫画で描こうとした大陸と日本青年 / 安彦良和
・東亜同文書院生が記録した近代中国 / 藤田佳久
満州の青少年像 / ロナルド・シュレスキー

更新履歴

2021.6.11:図書館総合展に関する情報を修正

クロアチアの旅から

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クロアチアで入手した写真集

2015年9月にクロアチアを旅行する機会があり、事前に読んだ『ドリナの橋』でユーゴスラヴィアの歴史に初めて触れた。様々な民族と宗教の人々が長い歴史の中で共存し、時に対立し、複雑な物語が綴られていた。
アンドリッチ『ドリナの橋』

ドリナの橋の舞台はユーゴスラヴィア中部のセルビアボスニアだったが、北部に位置するのがクロアチア。最初に訪れたのはアドリア海に面したイストリア半島にあるポレチュという港町。対岸はイタリアのヴェネチアで、北にはトリエステ港がある。1000年の栄華を誇った海洋国家ヴェネチア共和国の船は、みなアドリア海を渡って行った。静かなアドリア海に沈む夕日は限りなく美しかったが、歴史の絵巻が渦巻いているようだった。
EAJRS参加とヴェネチア国立文書館訪問

クロアチアの首都ザグレブでは、Museum Documentation Centerを訪問した。複雑な歴史の中で芸術作品を継承していく努力の積み重ねが、めくるめくように伝わってきた経験だった。
情報資源センター・ブログ

数年前から、クロアチアの更に北に位置するスロヴェニアにルーツを持つ作曲家、ヴィンコ・グロボカールの存在を知るようになった。今年発行された沼野雄司『現代音楽史』(中公新書、2021.1)には、グロボカールの作品が「常に移動、移民、亡命、弾圧、不自由……といった事柄をめぐる物語」を音楽化したもの、と書かれている(p248-249)。多様な民族、宗教、言語、文化が交差する地域で育まれた音楽家の作品に耳を傾けていきたいと思う。
沼野雄司『現代音楽史』
暴力/ ノイズ / グロボカール:坂本光太チューバリサイタル

スズキコージの絵本

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スズキコージの絵本

スズキコージの衝撃的な絵本『エンソくんきしゃにのる』は、確か隣に住んでたさちおばさんが譲ってくださった絵本の山に入っていたものでした。それまで見ていた子ども向きの優しいタッチの絵本とはまるで違い、強烈な色彩感覚とダジャレの羅列のようなナンセンスなストーリー。しかし息子たちは食い入るように絵本をながめ、親の私もすっかりとりこになってしまいました。その後本屋で買ったり、保育園のバザーで買ったりしたいくつかの絵本。大型の『Pcture show』は字がひとつもなく、スズキコージの世界が炸裂しています。

「青淵俳壇」掲載句より

俳句を始めたそもそもは、仕事でブログなるものをやることになった2007年、ブログ冒頭の挨拶代わりに五七五の俳句もどきを載せてみたことでした。同僚におだてられ幾つか載せましたが、流石に素人の句を載せるのは気が引けたので止め、新聞の俳壇やNHK俳句などで独学。一時期句会にも誘われなんとかそれらしき句が詠めるようになった2009年秋、渋沢財団機関誌『青淵』掲載の「青淵俳壇」に投句を始めました。毎月5句投句すると、その中から1~3句が掲載されるようになりました。
https://www.shibusawa.or.jp/outline/seien/index.html

退職するまでの8年間に、247句が掲載されました。あらためて見直してみると、飛鳥山や仕事関係の句が58、国内外への出張や旅行での句が42、家族を詠んだのが38、その他季節ごとの諸々を詠んだのが109でした。すこしばかり巻頭に採っていただいた句がありますので、その中からいくつかここに載せておきます。

■「鞦韆につもりて静か春の雪」(781号 2014年4月)
鞦韆は「しゅうせん」「ふらここ」と読み、ブランコのことです。飛鳥山公園の児童コーナーに置かれたブランコに、春の雪が積もっている景色。俳句を始めて知った言葉はたくさんあります。

■「飛鳥山雨の上がれば亀の鳴く」(793号 2015年4月)
「亀鳴く」という春の季語を一度使ってみたくて詠んだ句。亀は鳴いたりしないのですが、藤原為家の歌からきた、春を表す空想の季語だというので興味がわいたものです。
https://w.wiki/3SXF

■「ボンジュールゆきかふ春の日仏展」(734号 2010年5月)
2010年春の渋沢史料館企画展「渋沢栄一とアルベール・カーン : 日仏実業家交流の軌跡」では、来場者が受付で「ボンジュール」と言うと料金が割引になるというので、受付に行くと何度も「ボンジュール」が聞えたことでした。
https://tobira.hatenadiary.jp/entry/20140808/1407462789

■「青淵忌文庫飾れる竹鶴図」(766号 2013年1月)
渋沢栄一の命日11月11日は、毎年「青淵忌」として行事が行われていて、この時も飛鳥山にある青淵文庫で竹鶴を描いた掛け軸が展示されていました。青淵は渋沢栄一の号です。

■「シャガールの恋人浮かぶ秋の空」(825号 2017年12月)
2017年秋に東京ステーションギャラリーの企画展「シャガール三次元の世界」を観た時の句。詠んだ句をみるとその時の状況を鮮明に思い出します。
http://www.ejrcf.or.jp/gallery/exhibition/201709_chagall.html

■「子を叱ることもなくなり大根煮る」(791号 2015年2月)
大根は俳句では「だいこ」と言う冬の季語。息子たちが独立して叱ることもなくなりましたが、大根はよくストレスを吸収してくれたものでした。

『青淵』掲載記事一覧

渋沢栄一記念財団の機関誌『青淵』に署名入りで掲載した記事の一覧です。これらは全て同財団ウェブサイトに掲載されています。

記事名 発行年月 リンク
社史の楽しみ−実業史研究情報センターの社史索引プロジェクト 680 2005年11月 リンク
EAJRS参加とヴェネチア国立文書館訪問 695 2007年2月 リンク
アーカイブズ・カレッジに参加して 719 2009年2月 リンク
渋沢栄一関連会社社名変遷図」をめぐって 740 2010年11月 リンク
北米で社史を語る 761 2012年8月 リンク
みじん切りからハンバーグへ ― 「渋沢社史データベース」公開までの歩み 785 2014年8月 リンク
刊行物から見た渋沢栄一記念財団の歩み 797 2015年8月 リンク
長岡の人々と渋沢栄一 : 『渋沢栄一伝記資料』の記述から 803 2016年2月 リンク
日本女子大学校と渋沢栄一 : 『渋沢栄一伝記資料』の記述から 806 2016年5月 リンク
社会公共事業団体名の変遷図をウェブサイトで公開 821 2017年8月 リンク