Kadoさんのブログ

日々のあれこれを綴ります

『青淵』掲載記事一覧

渋沢栄一記念財団の機関誌『青淵』に署名入りで掲載した記事の一覧です。これらは全て同財団ウェブサイトに掲載されています。

記事名 発行年月 リンク
社史の楽しみ−実業史研究情報センターの社史索引プロジェクト 680 2005年11月 リンク
EAJRS参加とヴェネチア国立文書館訪問 695 2007年2月 リンク
アーカイブズ・カレッジに参加して 719 2009年2月 リンク
渋沢栄一関連会社社名変遷図」をめぐって 740 2010年11月 リンク
北米で社史を語る 761 2012年8月 リンク
みじん切りからハンバーグへ ― 「渋沢社史データベース」公開までの歩み 785 2014年8月 リンク
刊行物から見た渋沢栄一記念財団の歩み 797 2015年8月 リンク
長岡の人々と渋沢栄一 : 『渋沢栄一伝記資料』の記述から 803 2016年2月 リンク
日本女子大学校と渋沢栄一 : 『渋沢栄一伝記資料』の記述から 806 2016年5月 リンク
社会公共事業団体名の変遷図をウェブサイトで公開 821 2017年8月 リンク

渋沢栄一の伝記関係記事

渋沢栄一(1840-1931)の伝記および彼が関わった出版物の記事の中から、渋沢栄一記念財団のウェブサイトに掲載のものをいくつか一覧にしました。これらは同財団の機関誌『青淵』803号~821号(2016年2月~2017年8月)に「書庫のしおり」というシリーズで掲載されています。

出版物 出版年 記事リンク
『青淵先生六十年史』竜門社編 1900 リンク
『はゝその落葉』穂積歌子著 1900 リンク
『青淵先生七十寿祝賀紀念号』(竜門雑誌附録) 1910 リンク
『青淵渋沢先生七十寿祝賀会記念帖』 1911 リンク
『青淵百話』渋沢栄一 1912 リンク
『実験論語処世談』渋沢栄一 1922 リンク
『欧州の将来』ヴァンダリップ著 竜門社訳 1922 リンク
『青淵回顧録渋沢栄一述 ; 小貫修一郎編著 1927 リンク
『青淵先生訓話集』 1928 リンク
『国訳論語』『論語:斯文会訓点 1928 リンク
『渋沢翁は語る』渋沢栄一 [述] ; 岡田純夫編 1932 リンク
渋沢栄一翁』白石喜太郎著 1933 リンク
『青淵渋沢栄一:思想と言行』明石照男編 1951 リンク
『三聖人の経済道徳観:断片集』明石照男編 1952 リンク
渋沢栄一渋沢秀雄 1956 リンク
『雨夜譚』渋沢栄一述 ; 長幸男校注 1984 リンク
渋沢栄一事業別年譜:全』渋沢青淵記念財団竜門社編 1985 リンク

追悼・長尾真先生

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長尾真先生の本

京都大学総長、国立国会図書館長を務められた長尾真先生が、5月23日に亡くなられた。1936年生まれ、84歳であられた。情報工学者の長尾先生は国会関係者以外では初めての国会図書館長となられ、2007年から2012年まで資料のデジタル化の推進を先頭に立ってすすめられた。直接お目にかかる機会はなかったが、ARGの岡本真さんの情報発信でしばしば長尾先生のご活躍ぶりを知ることになった。先生の本は何冊か読んだが、今手元にあるのは次の2冊。先生は次第に哲学の領域に足をすすめられていたようです。ご冥福をお祈りいたします。
長尾真『電子図書館新装版 岩波書店 2010年
1994年に岩波科学ライブラリーの1冊として刊行されたものの新装版。巻末に「新装版の読み方」を岡本真さんが書かれている。電子図書館の構想を1994年時点でかくも深くたてられていたことに改めて感動する。目次は次の通り。
1.インターネット電子図書館
2.マルチメディア時代
3.図書館情報の組織化
4.図書の情報構造
5.マルチメディア電子図書館
6.電子読書
7.将来の姿と課題

長尾真『情報を読む力、学問する心』(シリーズ「自伝」) ミネルヴァ書房 2010年
国会図書館長在任中に出された自伝。本書カヴァー裏に「情報学の第一人者、長尾真。神職の家に生まれた好奇心旺盛な少年は、いかにして学問と出会い、研究の道を進むにいたったのか。自らの人生を振り返った本書では、画像処理、機械翻訳電子図書館といった情報学の研究や、大学の教育や行政のみならず、その行動や思想に至るまで、余すことなく語る。」とある。目次は次の通り。

はじめに
第一章 子どもの頃が人生を決める…1
 1 神職の家(病弱な幼少時代/福井で玉音放送を聞く/一家総出で畑仕事/自然に囲まれた小学校/滋賀の御上神社/風呂焚きと思索)
 2 中学生の頃(境内の草取り/悟りにいたる/本との出会い/慎重な兄の性格/周囲からの期待)
 3 高校生活(学力の差を知り、発奮する/大津東高校というところ/琵琶湖の水質調査/先生に叱られたこと/忘れられぬ本/京大進学を志す)
第二章 学問の何たるかを知る…25
 1 大学生活(片道二時間の通学/一般教養の講義/語学学習を楽しむ/専門科目の講義)
 2 大学院時代(コンピュータとの出会い/プログラミング言語/数式の構造を分析する/助手に誘われる)
 3 助手になって(形式言語の分析の研究/ヨーロッパへの出張/英語が話せずに困る/先生の期待にそむいて/何かがふっきれて)
 4 文字読取装置(数字の識別/郵便番号読取装置)
 5 教えを受けた多くの先生方(先生方から多くを学ぶ/大学以外の方々とのつき合い/落胆と希望)
第三章 学問の草創期に出会えた幸運…55
 1 顔写真の解析(初めて濃淡画像を扱う/万博でのデモンストレーション/顔の解析は難しい)
 2 助教授の期間(フランスへ/下手なフランス語で講義/翻訳のいくつかの段階/フランスでの生活)
 3 教授になって(あっという間に教授/研究費をとる苦労)
 4 航空写真の解析(アメリカでやっていない方式で/新しい方法論の導入で論文賞/研究室の変化)
第四章 自分の学問の確立…75
 1 文の生成と意味の取り扱い(チョムスキー生成文法チョムスキーに欠けているもの/ニューヨーク万博の翻訳装置/アメリカで研究するか/ALPAC報告書)
 2 研究環境の整備(日本語文字の入力装置/大型補助ディスク/自然言語の様々の研究)
 3 機械翻訳研究のスタート(研究を始めるにあたって/論文表題の翻訳システム/有限オートマトンモデル/ヘリウムは少年です/ヨーロッパの状況)
 4 Muシステム(日米摩擦解消への貢献/構文翻訳方式/研究開発のチーム作り/システム開発の困難性/研究の評価/機械翻訳国際連盟の設立)
 5 用例主導翻訳(言語の文法は概念的なものである/言語の文法は自然科学の法則とはちがう/言語の学習は用例に支えられている/用例翻訳のアイディア/類似表現を用例辞書から発見する/自分の考えた方法に希望を捨てず/ofの翻訳/用例解釈におけるシソーラスの大切さ/統計翻訳の出現/用例翻訳方式の利点/言葉の意味について)
 6 情報科学辞典(情報科学の研究者達と/白紙からの辞書の作成、その方法論/辞書の利用者の立場に立って」)
 7 電子図書館の研究開発(新しい分野へ/理想の電子図書館/書物の解体/電子図書館アリアドネ/私の原稿書きのスタイル)
 8 学問の幅を拡げる(昔の学者は遊び心をもっていた/対話研究会/国立民族学博物館/外国の友人たち)
第五章 大学運営にたずさわる…151
 1 大学附属機関の長(大学計算機センター長/ビットネットの導入/学内ネットワークの建設/メタモルフォーゼ/附属図書館長/図書館司書の地位の向上)
 2 情報学大学院の創設(新しい大学院の創設/情報科学でなく情報の学を目指して/異分野との交流の大切さ)
 3 総長就任(やるしかないという心境/新総長の最大の課題は新キャンパス/桂御陵坂の決定に向けて/一度さがってまた出直す/周囲の理解と幸運にめぐまれる)
 4 総長としてしたこと(キャンパスの美化/教育の改善/UCLAとの実時間遠隔講義/大学文書館/スポーツの振興/学生との交渉)
 5 国立大学法人法(国の行政改革の波が国立大学にも/独立行政法人通則法への抵抗/遠山プラン/苦渋の国大協臨時総会/国立大学法人法の成立/法人法の良し悪しは運用の仕方で決まる)
 6 総長退任にあたって(学長冥利につきること/総長退任にあたって/将来への期待/感性の教育/新しい研究科/京都大学の先生方の立派さ/京都大学の独自性の保持/21世紀が必要とするものを見つめる)
第六章 第二の人生…215
 1 総長退任後の数ヵ月(父の跡を継ぐ気になって/ゴルフの効用/比叡山に登る/書の楽しみを求めて/芸術は永し)
 2 情報通信研究機構理事長(東京に引っぱり出される/ビジョンを掲げ、方向性を示すことの大切さ/日本は国としてもっと情報分析に力を入れるべし/情報信頼性・信憑性研究/突然、河野衆議院議長に呼び出されて)
 3 国立国会図書館長(冒頭からあるべき姿を説く/知識は我らを豊かにする/納本制度に安住しない/ディジタル時代に向けて法改正にチャレンジ/電子図書館の建設に向けて/常に外部の目で内部を見る/図書館における情報処理技術の大切さ)
第七章 私の信条…247
 1 21世紀の概念を求めて(理性の時代の次はどんな概念の支配する時代が来るか/情の時代への予感/京都人の生き方を参考に)
 2 第三次近似の時代(微妙なことまでの追求/事例にならって)
 3 学問・研究における私の信条(学問・研究は何のためにするか/反骨精神で新しい課題を発見する/難しい課題は若い人に/研究分野の盛衰について/新しい良い研究課題の発見こそ、研究者の仕事/私における研究の波/素人の目/研究における米国との違い)
 4 工学とは何か(科学技術は科学+技術ではない/工学の定義/設計について/コンピュータの能力と人間の能力)
 5 対話の大切さ(創造性は対話によってもたらされる/外国の研究者と積極的に付き合うこと/苦手な教室での講義/学生との議論を通じての教育)
 6 自分の生き方(ゼロからのスタート/弱い体にむち打って/読書について/音楽について/怒りについて/つつましく生きる)
おわりに…291
主要著作一覧…295
長尾真略年譜…301
人名・事項索引

参考

■NDLカレントアウェアネス記事

■岡本真さんがFBで挙げられていたインタビュー記事

  • GAFA時代、日本の「知のインフラ」を構築してきた長尾真が予測する「未来」
    〔弁護士ドットコムニュース 2019年01月22日 09時01分〕
    https://www.bengo4.com/c_23/n_9129/

仲俣暁生さんが挙げていた記事、2010年のインタビュー

イーユン・リー『千年の祈り』を読む

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イーユン・リー『千年の祈り』

 岩波の『図書』に俳人長谷川櫂が、「高校生や大学生に文学について話をするとき、いつも困るのは彼らが人間の本性についてあまりに無頓着なことである…(中略)…「みんないい人」なら文学はいらない……欲望に翻弄され、互に争い、その言い訳に終始する人間、その滑稽な姿を描くのが文学ということになるだろう。人間の根源にあって人間を衝き動かす二つの欲望、お金と性こそが文学の永遠のテーマなのだ」(2020年2月号p55)と書いていたのが目に留まった。そんなこともあり、図書館の新着コーナーにあった短篇集を手に取って読み始めた。現代中国の人々の心情を洗練された文章で描き出す筆致にぐいぐい引き込まれてしまった。

千年の祈り / イーユン・リー 著 篠森ゆりこ 訳
新潮社 2007

  • あまりもの:定年退職後に不思議な再就職をした老婆の話
  • 黄昏:障害のある娘を育てる母親と、退職後に株式投資に励む父親の話
  • 不滅:宦官の歴史と、独裁者そっくりに生まれた少年の数奇な半生
  • ネブラスカの姫君:北京からアメリカに来たLGBTの男女の話
  • 市場の約束アメリカへ行った婚約者に裏切られた女性英語教師の話
  • 息子キリスト教の信仰篤い母と、アメリカ帰りの息子の話
  • 縁組:病気の母とその面倒を見る13歳の娘、父親とその友人の4人の人間模様
  • 死を正しく語るには:北京の胡同にある四合院に住む人々の物語
  • 柿たち:息子を亡くした男の復讐を語る、二人の男の会話
  • 千年の祈り:離婚した娘を心配して北京からアメリカにやってきた父親の体験

 新刊書かと思ったら2019年刊の12刷だった。映画化もされているらしく、相当に読まれているのだろう。10年以上前の著作だが、中国の歴史は知っていても現代に生きる人々の心のひだには疎いので、興味深い読書だった。著者は北京出身でアメリカで免疫学修士号取得の後に作家になった女性。英語からの翻訳はこなれた文章で読みやすかった。中国とアメリカという二つの視点から描き出される物語は実に味わい深く、様々な発見があった。英語版の出た2005年はコロナ以前、トランプ政権以前のことなので、その後の著作もぜひ読んでみたい。

『ヤマトグループ100年史』

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ヤマトグループ100年史』ヤマトホールディングス株式会社 2020年

先日ヤマトグループ歴史館から宅急便で、『ヤマトグループ100年史』が届きました。前職で私は主に社史に関する業務に携わっていましたが、2011年に東日本大震災が発生したあと、自分に何ができるだろうと考えました。被災地に出向いて瓦礫を運ぶなどはとてもできそうもなく、しかし日本の企業が明治期から出して来た社史ならたくさん身近にありました。そこで「社史に見る災害と復興」というテーマで情報発信を始めました。

仕事でほぼ毎日出していたブログの記事に、社史の中に見つけた関東大震災をはじめとする災害関連の記事を載せていきました。2011年4月22日に出した帝国ホテルの記事から、2012年3月14日の三越の記事まで、30件以上のブログを出すことができました。その中でわかってきたことをまとめ、2012年3月にトロントで開催された米国アジア学会で、"The Great Kanto Earthquake as Seen in Shashi"(社史に見る関東大震災)と題した発表を行いました。その後、米国ピッツバーグ大学発行の電子ジャーナル『社史』に、発表内容を掲載することになりました。掲載に当り発表時に受けたコメントから、「東日本大震災に於ける企業の社会貢献」についての考察を追加しました。改めて調べてみると、ソフトバンクユニクロヤマト運輸など多くの企業が様々な支援活動をしていたことがわかり、その中からヤマト運輸の取り組みについて追記したのです。その結びとして、「この取り組みについては、次に出る社史に詳細が書かれるだろう」と書きました。

『100年史』は700ページ近い大部なもので、重さも2kg以上ある立派なものでした。本文は1919年から2019年までの100年間を編年体で綴った沿革編と、定款や宅急便の推移などをまとめた資料編、そして年表と索引で構成されていました。目次は詳細で、それだけで100年の歩みをたどることができます。私がまずページを繰ったのは、第11章第2節「東日本大震災ヤマトグループ」でした。

その節は「1.東日本大震災の発生」として、その時なにが起こったかをまとめ、続いて「2.ヤマトグループの復興支援プロジェクト」として、5つの項目が挙げられていました。私が取り上げたのはその中で「宅急便ひとつに、希望をひとついれて」と名付けられた、宅急便1つあたり10円の寄付金を積み立てるものでした。しかしそれ以外にも、ヤマト運輸は様々な取り組みをしていたことが、簡潔にまとめられて記載されていました。

被災地ではヤマト運輸の社員も多く被災者となり、避難所で救援物資の配送が滞っている場に居合わせた社員が、その円滑な配送に進んで取り組んだことが当時報道されました。これについて、「被災地の社員によるこうした自発的な行動は、社訓にある「ヤマトは我なり」を見事に体現したものだった」と社史にありました。なるほど、社訓が社員ひとりひとりに充分理解され共有されているのだなあと思いました。

昨年からのコロナ禍で世界は騒然としていますが、私は多くの社史を見て日本の企業が様々な困難を乗り越えてきたのを知りましたので、必ずやこのコロナ禍も乗り越えられると信じています。

■参考

野平一郎『ベートーヴェンの記憶:ピアノとリアルタイム・コンピュータのための』を聴く

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野平一郎退任記念演奏会プログラム

野平一郎先生の退任記念演奏会を聴きました。前半は弦楽四重奏曲2曲。プレトークで、弦楽四重奏という編成は古くから現在まで多くの作曲家が作品を作り続けている、というお話しがありました。確かにハイドンモーツァルト、それ以前から現代の作曲家まで弦楽四重奏曲をたくさん書いています。そう思って聞くと確かに様々な可能性に満ちた編成だと思われます。

弦楽四重奏曲第5番』(2015)は3楽章からなり、連続して演奏されます。作曲者はブーレーズの「錯乱を組織しなくてはならない」という一種のアジテーションを重要なキーワードとしているとのことですが、その意味を考えながら聴きました。第1楽章は「Senza tempo」。テンポ無しでどうやって合奏が成り立つのかと思いましたが、演奏者はそんなことどこ吹く風という面持ちで、激しい対比のある音楽を奏でていました。第2楽章は「Vif - Swing, un peu moins vite - Beaucoup plus lent」、直訳すれば「活き活きと―少し遅いスウィング―もっと遅く」となりますか。解説にはスケルツォとありましたが、自由な響きに満ちていました。第3楽章は「Encore plus lent - A peine moins vite dans le sentiment funeraire - A la sortie, Bien modere」「さらに遅く―葬式の感情の中で―最後はモデラートで」。音楽を葬るかのような流れが続き、最後は奏者が一人ずつ退場していきました。

2曲目の『弦楽四重奏曲第6番』(新作初演2021)はこの演奏会のために書かれた曲で、2楽章からなり、こちらも連続して演奏されます。ピチカートや様々な奏法で音楽が続きますが、各奏者が他の奏者を模倣したり反発したりしながら音楽が流れていく即興演奏を聴いている気分になりました。楽譜に全て書かれているのでしょうけれど、作曲者の意図を十二分に理解している演奏者は見事でした。

休憩の後は、『ベートーヴェンの記憶』―ピアノとリアルタイム・コンピュータのための(2003)という作品。作曲者がピアノでベートーヴェンを弾き、時に語り、客席中央に置かれたコンピュータがリアルタイムで音を加工しスピーカーから流していきます。ピアニストの語り1はアドルノの言葉、語り2はブーレーズの言葉。別にベートーヴェンの「ハイリゲンシュタットの遺書」と「不滅の恋人への手紙」がドイツ語と日本語で語られ、これも変調されてスピーカーから流れてきます。40分ほどの作品ですが、ホール全体が野平=ベートーヴェンワールドに満たされ、不思議な高揚感に覆われました。作曲者が学んだパリのIRCAMの世界はかくあるのかと思いました(プログラムの藤幡正樹氏の解説には、この曲は「IRCAMで音楽用のプログラミング環境として開発されてきたMax/MSPを使用している」とあり)。現代における作曲、創造という行為の意味を深く考えた時間でした。

東京藝術大学音楽学部作曲科教授
野平 一郎 退任記念演奏会
日時 2021年3月19日(金)18:00開演(17:00開場) プレトーク 17:30~
会場 東京藝術大学奏楽堂(大学構内)

▊曲目

▊出演
AOI・レジデンス・クヮルテット
  松原 勝也(第1ヴァイオリン)
  小林 美恵(第2ヴァイオリン)
  川本 嘉子(ヴィオラ
  河野 文昭(チェロ)
野平 一郎(ピアノ)
仲井 朋子(コンピュータ)

■主催 東京藝術大学音楽学部/東京藝術大学演奏藝術センター/野平一郎退任記念演奏会実行委員会
共催 東京藝術大学音楽学部同声会
https://www.geidai.ac.jp/container/sogakudo/96776.html

つのぐむ芦~3.11に思う

深井史郎『平和への祈り』第4楽章 アルトソロ

ひと月ほど前に新聞で、俳人高野ムツオの「泥かぶるたびに角組み光る蘆」という句を知りました。宮城県出身多賀城市に済む高野が、3.11の直後に詠んだ句です。自宅から見下ろした河原に芦(蘆)は見えませんでしたが、心象イメージで作ったとのこと。「角組む蘆」は、川辺に茂る芦が春先に角状の新芽を伸ばす形からきた、春の季語と知りました。高野は津波で泥だらけの河の中から鋭い穂先を光らせる芦に、希望の光をみたのです。

10年ほど前に、深井史郎作曲のカンタータ『平和への祈り』を演奏したことがあります。作曲は1949年で、戦禍から立ち直りつつある時期の作品です。広島出身の詩人大木惇夫の詩には、被爆した故郷への深い思いが込められています。その中に「春は来て 緑つのぐみ」という言葉があるのですが、演奏した当時はこの「つのぐみ」が何を表すのかよくわかりませんでした。その疑問が、高野の句から一瞬で氷解しました。

高野の句は全国紙で報道されたそうですが、不覚にも気が付きませんでした。震災の翌年、多賀城市役所敷地の庭園に建てられた「蘆の碑(いしぶみ)」に、この句が刻まれているとのことです。多賀城市に縁はありませんでしたが、折を見て行ってみたくなりました。

■参考