2017年9月、大連国際音楽倶楽部第23回演奏会に参加し、1日から5日まで大連へ旅行しました。今回私は5回目の参加で、現地の方々といっしょにチャイコフスキーの『悲愴』などを演奏してきました。毎年のことながら様々な困難を乗り越えての本番は、全員力を出し切って心に残る舞台となりました。ところで旅行の基本コースは三泊四日で、初日は移動、練習、宴会。二日目は練習、練習、宴会。三日目は練習、本番、宴会。四日目は帰国と、観光の時間はほとんどありません。そこで今回初めて延泊コースを選び、四日目に大連市内を観て回りました。
最初に徒歩で行ったのは、市内中心部にある「連鎖街」です。大連は満州の入り口として戦前に何十万人もの日本人が渡り、広大な都市を築いていました。その中の商店街として1930年ころに造られた連鎖街は、「銀座通」「心斎橋通」「京極通」などと名付けられた道の両側に三階建の建物が連なっています。日本から多くの老舗が出店し、映画館や有名な俳優の事務所だった部屋もあり、水洗トイレ完備という先端の設備でした。現在は地元の人々が店を出していますが建物は古びたままで、往時の栄華は想像するのみでした。
次にマイクロバスで向ったのは、中山(ちゅうざん)広場にある大連賓館。19世紀末にロシア人がパリを模して設計した大連の街は、日露戦争後1905年に日本の統治下に置かれました。当時は大広場と呼ばれた中山広場はロータリーを中心に十方向へ放射状に道路が広がり、役所や銀行などの立派な建物が広場を囲み、現在もほとんど往時のままの姿を残しています。その一つの大連賓館は満鉄(南満州鉄道)が経営していた旧大連ヤマトホテルで、現在も営業しており、ホテルの男性ガイドが日本語で案内してくれました。戦前は大連一の高級ホテルだったヤマトホテルには、政治家や実業家、芸術家など多くの日本人が宿泊しています。重要な政治会談が行われた大広間は往時のままの雰囲気を伝えています。ラストエンペラー溥儀が使った部屋も立派な調度品と共に見ることができ、白檀の精巧な彫り物は今もかすかな香りがしました。また各部屋に置かれていたという置時計の裏には、満鉄マークが入っていました。しかし建物設備は相当に老巧化しているので、10月から改装工事に入りしばらく休館するとのことでした。
次は街を最初に造ったロシア人たちの住居が並ぶ、港近くの旧ロシア人街に行きました。日本橋を渡った先には美しい街並みにレンガ造りの建物が並び、教会だった建物も現在は土産物店になっています。その後現地の人たちに人気の水餃子店で、イカスミギョーザなどの昼食に舌鼓を打ちました。
午後の最初は旧満鉄本社の見学です。1906年設立の南満州鉄道株式会社が1908年から本社としていた立派な建物は、現在は大連鉄路の事務所がはいっていて、一部が旧満鉄の陳列館となっており、職員らしき女性が日本語で案内してくれました。陳列館入り口前の大きな看板に中国語で「前言」が書いてあります。漢字から類推すると、主旨は満鉄がいかに中国人民を搾取したか、ということらしかったです。ちょっと緊張しますが、ガイドの方は丁寧に中を案内してくださいました。展示は写真パネルと「残留物」が並んだ展示ケースから構成され、パネルには創設期から各地へ線路を伸ばした発展期、特急あじあ号などが続いていました。「残留物」には満鉄が使用していた列車の部品や工具、食器、様々な刊行物や文書類、写真などがありました。次に総裁室へ行くと、初代後藤新平から第17代山崎元幹までの肖像写真がずらっと並んでいました。隣の図書室には本は無く、満鉄の組織図が掲げられていました。最後の部屋で絵葉書や写真集、切子硝子の食器などを販売していたので、写真集を買ってきました。大連切子と言われるグラスは、戦前のものには満鉄のマークが入っていて貴重品だそうです。大連の歴史の重みがぎっしりつまった見学となりました。
その後は旧日本人街や老虎灘(ろうこたん)という海岸公園などをめぐり、市街地を抜けて訪ねたのは大連ソフトウェアパーク。大連オケのメンバーであるTさんがここで仕事をしているので、概要を案内してくださいました。以前はリンゴ畑だったという丘陵地に1998年に創設されたこのパークには、世界中のIT企業が進出しています。そして日本を始め各国からITアウトソーシング業務を受注しているそうです。インキュベータのコーナーでは何人もの若者たちが、それぞれの机でPCを広げて新規事業に取り組んでいました。彼らの仕事が大きくなったら、パークの中に事務所を開いてもらう、という計画だとのこと。中国の底力、将来性を感じさせるパークですが、家賃を高くすると他へ出て行ってしまうので、経営はなかなか大変らしいです。それにしても大連の先端企業の姿を垣間見る経験でした。
パークを後にして帰りは海上に造られた全長6.8kmに渡る星海湾大橋を走り、中心街へ向かいました。右手には夕闇迫る海、左手には新旧の街並みが広がる大連の風景(写真)。そして夕食は市内でキノコ鍋の店に集い、大連最後の夜を楽しみました。
■参考リンク
- 2017大連国際音楽倶楽部第23回演奏会 〔大連愛的ブログ:大連国際音楽倶楽部の歩み〕
http://d.hatena.ne.jp/dlimcblog/20170907/1504766465
- 南満洲鉄道(株)『南満洲鉄道株式会社十年史』(1919.05(大正8))〔渋沢社史データベース〕
https://shashi.shibusawa.or.jp/details_basic.php?sid=12340
- 南満洲鉄道(株)『南満洲鉄道株式会社二十年略史』(1927.04)〔渋沢社史データベース〕
https://shashi.shibusawa.or.jp/details_basic.php?sid=12350
- 南満洲鉄道(株)『南満洲鉄道株式会社三十年略史』(1937.04)〔渋沢社史データベース〕
https://shashi.shibusawa.or.jp/details_basic.php?sid=12360
- 南満洲鉄道(株)『満鉄四十年史』(2007.11)〔渋沢社史データベース〕
https://shashi.shibusawa.or.jp/details_basic.php?sid=12370
- 満鉄旧跡陳列館(博物館)-大連 〔アジア写真帳〕
http://www.e-asianmarket.com/dalian/dalian22.html
- 大連駅から中山広場へ 〔アジア写真帳〕
http://www.e-asianmarket.com/dalian/dalian01.html
- 海上大橋の大連星海湾が開通 〔人民網日本語版 2015年11月1日〕
http://j.people.com.cn/n/2015/1101/c94659-8969878.html