Kadoさんのブログ

日々のあれこれを綴ります

中川ひろたかの本

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 子どもの歌のシンガー・ソングライター中川ひろたかさんの本。

『中川ひろたかグラフィティ:歌・子ども・絵本の25年』(旬報社、2003)
『ピーマンBOX:中川ひろたか博覧会』講談社、2007)

 最初の本は自伝的エッセー。本の間に2003年6月5日の東京新聞の記事コピーがはさんであったので、それで知って買ったのでしょう。保父を手始めに子どものための歌を書きバンドで歌い、絵本も書き、全国をツアーしている中川さん。私の大学サークルの後輩でしたが、その後は音信不通。2007年に出た『ピーマンBOX』を入手したのをきっかけに、鎌倉文学館の彼の展示を見学、近くでご本人がやっているSong Book Cafeを訪問し、何十年かぶりに再会!
 『グラフィティ』には二カ所に付箋が貼ってありました。まずは「カラヤン」。

カラヤン
 (前略)
 大学もオーケストラ部に入った。そこでもホルン。その年の定期演奏会は、ベートーベンの「第九」。ぼくは、一年生。下手だったので演奏はさせてもらえず、合唱にまわされた。毎日毎日、その定期演奏会のための練習がつづく。そんな折、あのカラヤンが、ベルリンフィルを従えて日本にやってきたのだった。
 (中略)
 その、カラヤンが来るという日、ぼくたちは、二時間以上も前から集まって「第九」の第一楽章の練習をしていた。ぼくと荻迫くん、二人の一年生ホルン吹きは合唱担当だったので、出席することもなかったのだが、一応ホルンのパートは四人になっているし、(ベートーベンが、決めたのね)いないのは、みっともない。アタマ数だけでもそろえておこう。どうせ第一楽章には、三番、四番は出番はないし、ただ座っていればいいからと先輩に言われて、三番の席に荻迫、四番の席にぼくが、それぞれちんまり座っていると、やってきました。カラヤンだぁ。かっこいいんだぁ。後光がさしているんですよ。ウッヒョーってな感じなわけ。
 うちの指揮者があがってる。唇が乾くのか、ずっと舌なめずりしている。その指揮者から指揮棒を受け取るとカラヤンさん、指を三本立てた。「なぬー!三楽章!」やばいなんてもんじゃない。第三楽章には、なぜだか四番ホルンにものすごい長いソロがあるのだ。(ベートーベンが、決めたのね)。それはそれは美しく、ホルン吹きだったら一度はやってみたいとこ。それを、このぼくが、しかもカラヤンの前で、初見で吹かなければならないなんて。あわわとふるえていると、一番ホルンの安部さんはやおら振り返り、自分の一番の譜面とぼくの四番の譜面を、さっと差し替えた。安部さんは当時の大学オーケストラでは、最高のホルン吹きと言われた人。彼なんかこそ、カラヤンを聴いて育った人なわけだ。ここで、朗々と美しくホルンを演奏すれば、もしかしたら、終わったあと、あ、あのホルンの人、ベルリンフィルに来てもらいます、なんてことになるかもしれない。聞いてないけど、きっとそう思ったはず。
 (後略)(p27-32)

 結局カラヤンは三楽章の冒頭数小節を指揮しただけで終わり、ホルンのソロの出番はありませんでした。しかし私たちは翌1974年ベルリンで開催の青少年オーケストラ音楽祭に招待されたのでした。
 続いて「谷川さん」と題した谷川俊太郎の章にも付箋。これは大学中退までのいきさつから始まって、谷川俊太郎のサイン会へ行ったこと、谷川の住んでいる阿佐ヶ谷へ引っ越したことなどが縷々綴ってありました。家を出るいきさつが傑作。

 むくむくと自立の心がもたげてきた。そして、決意した。大学は辞める。そして、家を出ようと。
 一度思うと、いても立ってもいられないのはこの頃から一緒で、それを両親にうち明けた。そうしたら、父親は「家を出るのはいいが、学校はつづけろ」、母親は「学校は辞めてもいいが、家にいなさい」と言った。ぼくは二人の言うことを聞いて、学校を辞めて家を出た。(p55)

SONG BOOK Cafe http://www.songbookcafe.com/

鎌倉文学館 平成19年度の展覧会
http://www.kamakurabungaku.com/exhibition/h_19.html