Kadoさんのブログ

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中村哲『天、共に在り:アフガニスタン三十年の闘い』を読む

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 アフガニスタンで1600本の井戸を掘った医師として著名な中村哲(なかむら・てつ、1946~)さんの本。お名前は聞いていたが、読んでみて驚くことの連続だった。ひと月ほど前に、いくつかの精神的葛藤を抱えながら読了したが、極めて充実した読後感だった。

天、共に在り:アフガニスタン三十年の闘い / 中村哲
 NHK出版, 2013.10 252p
《目次》
はじめに――「縁」という共通の恵み
序章 アフガニスタン二〇〇九年
第1部 出会いの記憶1946〜1985
 天、共に在り/ペシャワールへの道
第2部 命の水を求めて1986〜2001
 内戦下の診療所開設/大旱魃と空爆のはざまで
第3部 緑の大地をつくる2002〜2008
 農村の復活を目指して/真珠の水-用水路の建設/基地病院撤収と邦人引き揚げ/ガンベリ沙漠を目指せ
第4部 沙漠に訪れた奇跡2009〜
 大地の恵み-用水路の開通/天、一切を流す-大洪水の教訓
終章 日本の人々へ
アフガニスタン中村哲 関連年表
WebcatPlus http://webcatplus.nii.ac.jp/webcatplus/details/book/26176161.html

・中村氏が医師としてパキスタンペシャワールに赴任したのは1984年。1986年にはアフガニスタンでの診療を始める。実に30年。
・氏の医師としての出発は精神科医だったというのは、大きな発見だった。「悩む者に必要なのは、因果関係の分析で無意識を意識化することではなく、意識を無意識の豊かな世界に戻すことである」というフランクルの言葉を紹介している。そしてパキスタンアフガニスタンイスラム教に接した時、「特別な違和感を持たず、むしろ自分の思いが確認され、誰とでも共通の土俵で話ができたように思う。」としている。(p45-47)
パキスタンではハンセン病の診療から出発された。1982年当時パキスタン全土でハンセン病患者約2万人、専門医は3名のみという状態。ちゃんとした履物が無くて病状を悪化させる患者の多さに対して、サンダルの工房を作って配布を始めたら足の切断手術が激減したという実績もびっくり(p56-60)。
・アフガン戦争の難民を受け入れる中で感染症の多発に接する。アフガニスタンでの診療所開設に奔走。大旱魃も発生。「病気のほとんどが、十分な食糧、清潔な飲料水さえあれば、防げるものだった」という状況の中、井戸を掘る事業が始まる。
・9.11以降の戦闘でも国土が荒れ多くの難民が発生。アフガニスタンはもともと農業国なのに旱魃もあり砂漠化が進んでいた。緑の大地を復活させるための用水路建設に取り掛かる。何年もの奮闘の末に用水路を開通させたは並大抵の努力ではなかったのがよくわかった。開通して1年後には砂漠が緑の大地に変わった写真に瞠目した。
用水路建設のヒントとなったのが、中村氏の故郷である九州・筑後川の山田堰の構造だったというのも驚き。それを記した記録を丹念に調べ上げてアフガニスタンの大地に応用し、現地の人々=農民を指導して工事にあたった手腕は誠に敬服に値する。
・中村氏は一人で活動したわけでなく、ペシャワール会という支援組織があるのも初めてきちんと知った。活動に対する批判があることも書かれていた。評価はいろいろだろうけれど、こういう日本人がいてアフガニスタンで汗を流していることを重く受け止めたいと思う。
ペシャワール会 http://www1a.biglobe.ne.jp/peshawar/

番外:氏は福岡県生まれで、自然に囲まれて育つ中である昆虫に魅せられる。それはハンミョウだったと書いてあった(p35)。ハンミョウといえば斑猫であり、橋本國彦の歌曲のタイトルとして親しい。1928年に深尾須磨子の詩に作曲したもので、荻野綾子が歌った。奇妙な邂逅。
荻野綾子と橋本國彦 http://d.hatena.ne.jp/nipponica-vla3/20130925/1380106399