Kadoさんのブログ

日々のあれこれを綴ります

EEMT2018連続上演会

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 チューバ奏者の坂本光太さんから、演奏会の案内をいただきました。「実験音楽とシアターのためのアンサンブル(Ensemble for Experimental Music and Theater = EEMT)」の2018年公演です。

日程:2018年8月3日(金)~5日(日)
会場:TOCHKA(トーチカ=特火点)(東京都足立区千住関屋町12-3)
   北千住駅から徒歩15分、京成関屋駅牛田駅から徒歩10分
   https://bit.ly/2uVvLAr
入場無料

プログラム

8月3日(金)18:30開演
「カーゲル・ベリオ・シュネーベル 身体←→行為」

  • M.カーゲル:ミルム チューバソロのための
  • L.ベリオ:セクエンツァV トロンボーンソロのための
  • D.シュネーベル:ノスタルジー 指揮者ソロのための
  • D.シュネーベル:ヴィジブル・ミュージックI 指揮者と演奏者のための
  • 即興演奏 大谷、馬場による

出演:大谷舞(Vn)、坂本光太(Tuba)、馬場武蔵(指揮、Tb)

8月4日(土)15:30開演
「グロボカール・バーベリアン・インプロヴィゼーション 身体←→即興」

  • C.バーベリアン:トリプソディ 声のためのソロ
  • V.グロボカール:レス・アス・エクス・アンス・ピレ 金管楽器ソロのための
  • 即興演奏 岡、坂本、村上による

出演:岡千穂(Electronics)、坂本光太(Tuba)、村上裕(アーティスト)

8月5日(日)18:30開演
「日本の実験音楽1966-2017」

出演:岡千穂、久保田翠、河野聡子、小坂亜矢子、坂本光太、照屋全宝、中村益久、西浜琢磨

■参考

磯田道史『天災から日本史を読みなおす』を読む

 『武士の家計簿』で一躍名をあげた磯田道史さんの、『天災から日本史を読みなおす:先人に学ぶ防災』(中公新書、2014)を読んだ。4年も前の著作だが全く知らなかったのは不覚であった。もっともこれは朝日新聞の連載が初出だそうで、朝日は読んでいないし、磯田さんはテレビにしばしば登場して有名なのも、テレビをほとんど見ない私が気が付く術はなかったとしか言いようがない。それにしても東日本大震災以降、災害に関する文書を調べるのに浜松に転職されたというのには驚いた。そして日本各地の災害記録を記した古文書を縦横に読み解いてまとめたという本書は、実に示唆に富んだ内容だった。日本エッセイスト・クラブ賞を受賞したというだけあって、読者を引きつける筆の運びが心地よかった。
 東日本大震災の後、自分にできることは何か考えた末、「社史に見る災害と復興」をテーマに多くの社史を渉猟し、随時ブログにまとめて公開した。そこから得た情報をアメリカのアジア学会で発表する機会にも恵まれた。その後社史の情報は「渋沢社史データベース」として公開したので、たとえば「水害」を検索すると1742年の関東地方の水害についての社史データなどがヒットする。私自身は退職して担当を離れたが、若いスタッフが引き継いでくれている。日本列島の防災対策に、このデータベースをぜひ活用してもらえればと思う。

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清水眞砂子さんの講演録を読む

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 東京こども図書館発行『こどもとしょかん』156号、巻頭の黒沢克朗さんは2歳のお孫さんにスカイプで絵本を読んであげてました。楽しんでくれてはいるものの、直接会って感じるぬくもりが無いのが残念でしたが、4歳になって孫の家に泊まった折、怖い話をせがむ孫に毛布の中で怖い話をすると全身で楽しんでくれました。5歳になった孫に妹が生れ、「妹が話せるようになったら何をしてあげると聞いたら『絵本を読んでやる』と一言。」と結ばれていました。ほっこりした気分です。
 続く児童文学者の清水眞砂子さんの講演録「事実と真実のあいだで:マヤ・ヴォイチェホフスカの文学を考える」は、衝撃の内容でした。ポーランドに生れ米国へ渡った作家ヴォイチェホフスカは初めて聴く名前でしたが、『ひとすじの光』『夜が明けるまで』『LSD』といった作品を清水さんが翻訳されていて、どれもすぐに読んでみたくなりました。しかし講演は単にご自身の訳書を紹介するものではなく、戦禍の故国を脱出して米国に渡り、異邦人として書き続けた作家の生きざまに縦横に迫るものでした。「弱者と敗者」への目線、個でなく「類の声を聞きとる」、作家の姿勢に疑問を持ち距離を置く、などなど、清水さんはご自身の矜持を率直に語られていました。1941年に北朝鮮で生まれ5歳まで過ごしたというご自身の出自にも触れ、日本の中のブラジル人コミュニティに話が及び、異邦人の背負う故国の歴史の重たさについて深く考えさせられました。
 この講演は、東京子ども図書館が昨年出した児童書目録『物語の森へ』の刊行記念に、昨年6月30日同館で行われたものです。この目録は私も早速購入しましたが、丁寧な仕事の積み重ねがあふれ出たずっしりした一冊です。

加藤丈夫『「漫画少年」物語』

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 国立公文書館館長の加藤丈夫先生が富士電機株式会社会長時代に、講談社の編集者だった父上加藤謙一氏の仕事をまとめられた本。昨日入手してページを開いたらあまりに面白く、一気に読んでしまいました。
 占領期の雑誌創刊、手塚治虫との交流、親友・宇野親美氏のこと、戦前戦後の講談社での仕事、どれもこれも興味深く、しかしなんといっても加藤謙一氏の編集者としての一貫した姿勢に感動しました。未来を担う子どもたちの成長を見守る暖かい視線。
 2015年から何回か演奏した手塚アニメ音楽も思い出しました。「鉄腕アトム」は1963年からのテレビ放送をおそらく最初から観ていましたが、「ジャングル大帝」などは演奏を期に、息子の部屋の漫画をじっくり読んでなるほどと感激した次第。手塚治虫の活躍の土台に、加藤謙一氏の存在があったことをこの本で初めて知りました。
 本書は雑誌「東京人」2001年6月号から2002年1月号まで、8回にわたり連載されたものを、加筆編集し出版したものです。「東京人」発行人の粕谷一希氏と著者との長年の交友をまぶしく感じました。

漫画少年」物語 : 編集者・加藤謙一伝 / 加藤丈夫
 都市出版,2002
 274p ; 20cm
目次:
はじめに …2
漫画少年」の誕生 …9
 家族総出の雑誌作り/がんばる“まる子”/恩人たちの死を越えて/天才、手塚治虫の登場/投稿少年たち/「野球少年」の大ヒット
青雲の志を抱いて …85
 親友・宇野親美/「なかよし」の子どもたち/上京‐講談社
少年倶楽部」時代 …115
 佐藤紅緑との出会い/「のらくろ」ブーム/黄金時代/結婚/「講談社の絵本」の刊行/太平洋戦争
トキワ荘の漫画家たち …175
 小石川時代/トキワ荘の主‐寺田ヒロオ/漫画家のマンガのような暮らし/「漫画少年」の廃刊/手塚治虫の遺産
生涯一編集者として …231
 講談社顧問室の日々/教育者の目/生涯一編集者の誇り
エピローグ …268

あとがき …271
参考資料 …272

NDLAmazone

今年のお節(2017年大晦日)

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一の重:栗きんとん、黒豆、紅白蒲鉾、昆布巻き、伊達巻
二の重:酢だこ、コハダの粟漬け、小鯛の笹漬け、ローストビーフブロッコリー
三の重:お煮しめ(里芋、手綱こんにゃく、ゴボウ、京人参、レンコン、干しシイタケ、きぬさや)

 今年もお煮しめ以外は市販品です。黒豆は姉からもらいました。昼にいっしょに年越しそばを食べるのがこのごろの習慣です。平穏に年を越せるのは幸せなことです。

カズオ・イシグロの本

f:id:lucyblog:20171223092919j:plain  前々からエッセイなど読んで気になっていたカズオ・イシグロノーベル文学賞をとって一気に話題になりましたが、小説を初めて読んでみました。まず『日の名残り』、そして『遠い山なみの光』。
 1989年に出て英国ブッカー賞受賞の『日の名残り』は、貴族に仕える執事の物語。ヒットラーが台頭して行った時期の英国の空気は、野上弥生子が『迷路』で描いた昭和10年代日本の上流階級の空気に通じるものがあります。控えめながら底力のある筆致に圧倒されました。
 1982年の長編デビュー作『遠い山なみの光』は王立文学協会賞受賞、故郷長崎と移り住んだ英国を舞台に繰り広げられる母と子の物語。過去と現在を行き来する小説の構造は、『日の名残り』で一層読者の心理を惹きつける役割に進化しているのがわかりました。
 いずれの作品もこなれた訳文により一瞬日本文学かと思わせるものの、元は英語で書かれていることに驚愕します。そして小説という文学でしか表せない世界がある事も、読後にしみじみと感じました。国や民族の境を軽々と越境する文学。池澤夏樹が解説で「人間は互いに了解可能だという前提から出発するのが哲学であり、人間はやはりわかりあえないという結論に向うのが文学である。」と書いているのが心に残りました。

ドイツの友人とトリスタン

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 書類の山を整理していたら出てきた手紙があり、思い出した2000年秋の出来事です。

ドイツの友人 / 門倉百合子

 先日の昼下がり、Sさんと名乗る女性から電話がかかった。突然電話を入れた非礼を詫びた後、彼女はJ.マイヤーの友人の婚約者だと自己紹介した。J.マイヤー、記憶の糸を手繰り寄せ、それが25年以上昔の友人の名前であることを思い出した。頭の中をタイムマシンのように時間が逆戻りした。


 Jに初めて会ったのは、1972年夏、友人と一緒にハイデルベルクの街を散歩していた時である。大学の裏手の道を古城へ向かって進んで行くと、ローマ時代の遺跡かと思われる競技場の廃墟に行き当たった。そこで地元の青年グループが、サッカーの試合に興じていた。休憩時間に片言のドイツ語と英語で彼らとおしゃべりをし、その中の一人と住所を交換した。それがJ.マイヤーだった。翌日には私たちはハイデルベルクを離れ、夏の終わりに帰国した。友人はドイツ語をやっていなかったので、私がJにお礼の手紙を書き、それから文通が始まった。
 文通といってもドイツ語を学び始めてから1年ちょっとだったので、知っている単語を全部並び立てて書いていた。タイプもなかったので、全部手書きである。家族のこと、学校のこと、そのころ読んでいたゲーテトーマス・マンのことなどなど。2、3ヶ月に1度くらい書くと、忘れたころにJからも返事がきた。


 1974年9月、所属していた学生オーケストラのメンバーとして、ベルリンに演奏旅行した。滞在していたわずか2週間ほどの間に、Jはたまたまレガッタがあってベルリンにやってきていた。連絡をとって待ち合わせ、1回食事をしたが、Jと会ったのは後にも先にもこの2回だけ、時間にしたら合わせて3時間にも満たないのではなかろうか。ヴィエナー・シュニッツェルを食べたことは覚えているが、何を話したかは全く覚えていない。ただその時Jは、私が当時卒論で取り組んでいたトーマス・マンの短編集を1冊プレゼントしてくれた。それはいまでも大切に手元に置いてある。しかしながら翌春に大学を出たらドイツ語を使う機会もなく、手紙もいつのまにか立ち消えてしまった。
 
 あれから25年、Jは今病院関係の仕事をしていて、結婚して娘が二人いるそうだ。Sさんから届いた手紙には、Jは私を通じて「日本文化に興味を持ち、いろいろ自分でも学んだことを、本当に嬉しそうに、そして幾分誇らしげに話してくれました」とあった。なにか心がほんのりと温まる知らせだった。
(初出:『This is LISA No.39』(有限会社リサ、2000年10月15日)p2)

 「トーマス・マンの初期作品にみられる『幸福への憧れ』」と題した卒論では、『トニオ・クレーガー』はじめ初期の短編をたくさん扱いました。その中の『トリスタン』という話は、長編『魔の山』に出てくるエピソードを凝縮した作品でした。2016年11月にピアニスト三輪郁さんのリサイタルで、ワーグナー=リスト編「イゾルデの愛と死」を聴いた時、その物語をまざまざと思い出したものです。

 手元にある岩波文庫『トオマス・マン短篇集 I』(1952)の「トリスタン」から、主人公が「イゾルデの愛と死」を弾く場面を引用しておきます。翻訳は実吉捷郎。

 彼女の唇が、なんと蒼ざめてくっきりしていることか。また目頭の陰が、なんと濃くなったことか。透き通るような額の眉の上には、あの薄青い脈管が、せつなげにまた危ぶませるように、ますますはっきりと浮き出て来た。彼女のせわしい両手の下で、空前の上騰が、あの凶悪と云ってもいいほどの、にわかなピアニシモで刻まれながら、果された。足許から大地が滑り去るような、崇高な情炎の中に没入してしまうようなピアニシモである。巨大な解決と成就とが、満ち溢れるような勢いで、はじまって繰り返された。測りがたい満悦の、耳を聾するようなとどろきである。それが飽くことなく、何度も何度も繰り返された後、潮のように引き退きながら形を変えて、まさに消え入りそうになったが、もう一度あこがれの楽音を、その諧音の中へ織り込んだと思うと、息を吐きつくして、絶え入り消え果て散り失せてしまった。深い静寂。(p125)

 Jから贈られた原書のページを繰ると、194-195ページに該当の箇所がありました。最後は"Tiefe Stille."