Kadoさんのブログ

日々のあれこれを綴ります

島尾敏雄と奄美図書館


 小説家・島尾敏雄(1917-1986)は横浜生まれですが、戦時中特攻隊員として奄美諸島加計呂麻島で出陣を待つ間に終戦となりました。島で出会ったミホと結婚し、神戸や東京での作家生活の後再び奄美に渡って約20年間暮らしました。その間1958年から1975年まで、鹿児島県立図書館奄美分館の館長を務めています。日中は図書館の仕事に携わり、帰宅して寝るまでの間に様々な文筆活動をしていたのです。晶文社の『島尾敏雄全集』(1980-1983)第16、17巻は「南島エッセイ」と題され、彼の文章が150本以上納められています。その中から図書館に関係したものをひろってみました。読んでみると図書館設立の経緯、郷土資料収集や読書会の実践など、離島の図書館活動の一端がうかびあがります。なお、当時の鹿児島県立図書館長は、同じく小説家の椋鳩十(1905-1987)でした。

  • 「鹿児島県立図書館奄美分館の開館について」【島尾敏雄全集 第16巻 p77-81】(初出:南海日日新聞 昭和33年4月20、21日)
  • 「鹿児島県立図書館奄美分館が設置されて」【第16巻 p86-88】(初出:南の窓 昭和33年7月 第12号)
  • 「最近の図書館の動向」【第16巻 p91-94】(初出:南海日日新聞 昭和33年10月26日)
  • 「田舎司書の日記」【第16巻 p184-189】(初出:鹿児島県・教育委員会月報 昭和36年9月 第93号)
  • 「季節通信」【第16巻 p258-270】(初出:日本読書新聞 昭和38年12月9、16、23日、昭和39年1月1日)
  • 奄美の文化活動の現状」【第16巻 p271-280】(初出:南海日日新聞 昭和39年2月7-9日)
  • 「来し方十年を顧みて」【第17巻 p34-37】(初出:南海日日新聞 昭和40年1月1日)
  • 「「島にて」第1号 編集後記」【第17巻 p289-290】(初出:島にて 昭和48年9月 第1号)
  • 「「島にて」第2号 編集後記」【第17巻 p302-303】(初出:島にて 昭和50年2月 第2号)
  • 「鹿図奄美支部会員を辞するに当たって」【第17巻 p305-307】(初出:鹿児島県図書館協会奄美支部だより 昭和50年3月 第11号)
  • 「「奄美の文化」編纂経緯」【第17巻 p324-329】(初出:法政大学出版局刊、島尾敏雄編『奄美の文化』 昭和51年3月)

参考

今年のお節(2016年大晦日)

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一の重:栗きんとん、黒豆、蒲鉾、昆布巻き(サケ、ニシンの二種)
二の重:酢だこ、コハダの粟漬け、酢キャベツとソーセージ
三の重:お煮しめ(里芋、手綱こんにゃく、ゴボウ、京人参、レンコン、干しシイタケ、きぬさや)

 去年は喪中でお節を作りませんでしたが、今年は簡略化したもののまた復活。昆布巻きは先日銀座の王子サーモンのお店に寄った時二種類買いました。コハダの粟漬けは実家で毎年父親が調達してきた思い出があります。お煮しめは前の半分の分量しか作りませんでしたが、味付けはしっかりつけたつもり。干しシイタケは9月に大分で買ったもの。また姉に届けます。
 今年やっと社会人になった次男が窓を磨いてくれるというので待っているところ。次男は大学に合格した翌日に家を出て行ってしまったので、途中少し戻ってきましたが、もう何年も一人で暮らしています。でも窓拭きは自分の仕事と心得ているようです。

『難民問題』

墓田桂著『難民問題:イスラム圏の動揺、EUの苦悩、日本の課題』2016.9.25(中公新書 2394)
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目次

はしがき
第1章 難民とはなにか
 1 歴史の中で
その紀元/ダマスカスからニュー・イングランドまで/ナンセン高等弁務官の任命/国際的な人道活動の萌芽/戦間期のユダヤ難民問題
 2 保護制度の確立へ
UNHCR/難民高等弁務官の役割/パレスチナ難民の位置づけ/難民の地位に関する条約/条約の展開/関連する用語/条約による認定手続き
 3 21世紀初頭の動向
2010年代の人道危機/難民・国内避難民の世界的動向/移動は「強制」か/時代の映し絵として
第2章 揺れ動くイスラム
 1 アフガニスタンからの連鎖
イスラム主義の拡大/秩序を揺さぶる思想/発火点イラクという重しの崩壊
 2 「アラブの春」以降の混乱
瓦解するシリア/顕在化したIS/独裁者なきリビア/衝撃を受ける既存の国家/「30年戦争」の見立て/アメリカの諦念
 3 脅威に直面する人々
日常の危機-混乱が続くアフガニスタン/人口流出に見舞われる国/不安定なイラク/やむことのない難民化の現象/危機の最中のシリア/国民の半数が難民化する事態
 4 流入に直面する国々
シリア難民が流れる国々/最大の受け入れ国、トルコ/苦境にあるヨルダン/アフリカと欧州を結ぶリビア/難民受け入れの限界/受け入れに慎重な国々/押し出す国々、引き寄せる国々
第3章 苦悩するEU
 1 欧州を目指す人々
100万人規模の大移動/人々を惹きつけるEU/動く人々、動けない人々/「混合移動」という問題/EUへのルート/密航という名のビジネス/それでもやまない危険な密航
 2 限界に向かう難民の理想郷
黄金郷としてのドイツ/「上限なき庇護権」の挫折/前線国と経由国の悲哀/最前線のギリシャ/もう一つの最前線、イタリア/批判されたハンガリー/対応に揺れたオーストリア
 3 噴出した問題
EUの対応-シェンゲン協定とダブリン規則/既存の制度の行き詰まり/16万人の移転計画とEUの亀裂/EUの転換点/フランスを襲った「恐怖の年」/テロリストに悪用された制度/難民問題と安全保障/さまざまな安全保障上の影響
 4 晴れそうにない欧州の憂鬱
イスラム化するフランス/多文化主義の限界/鬱屈とした感情/「イスラム嫌い」と難民受け入れ
 5 問題の新たな展開
選挙で問われる難民政策/「移民排斥」の意味/山積する問題/量的にも質的にも複雑な諸問題/NATOの関与/EUとトルコの取引/欧州の事例が示唆するもの
第4章 慎重な日本
 1 難民政策の実情
無縁ではなかった日本/「ボートピープル」の到来/政策の推移/「瀋陽事件」以降の動向/第三国定住難民の受け入れ/世論の動向と難民認定数/伝わらない実情/偽装申請の問題/難民認定国益-中国とトルコの難民申請者/「難民に冷たい国」は悪いことか
 2 シリア危機と日本
難民のための財政支援/大規模な対外援助は持続可能か/受け入れるべきだったのか/慎重な判断が求められる課題
 3 関連する課題と今後の展望
日本の人口動態と移民政策の展開/移民導入のデメリット/中国・北朝鮮での危機のシナリオ-盤石に見える中国/北朝鮮が崩壊するとき/送り返すべきか、受け入れるべきか/21世紀の現実のなかで
第5章 漂流する世界
 1 21世紀、動揺する国家
「難民化」する国家/帝国領に作られた国家の分解/現状維持に傾く国際社会/混沌とした世界
 2 国連の希薄化、国家の復権
機能しない国連、機能する国連/「ポスト国連」の時代/国家と国境の復権/限界の認識
終章 解決の限界
根本原因は解決できるか/限界に直面する取り組み/難民の正義、国家の正義/受け入れの限界は乗り越えられるか/世界を巨視的に見たとき/今後の世界を見据えた政策へ
あとがき
主要参考文献

 国境を超える難民や難民申請者がいる一方で、国境を管理する国家が存在する。双方にそれぞれの正義がある。両者の正義は共通の着地点を見つけることもあれば、それに至らない場合もある。そいした状況を変えようと、国家に抗い、対象者に寄り添い、運動論が展開される。ただ、その言説では、自らの生活圏を守りたいとする市民の立場は疎かにされがちである。問題に向き合う国家や社会を慮ることも少ない。脆弱なのは難民だけではない。国家や社会も深刻な問題を抱えていることがある。一面的な正義ばかりを唱えていては、これらの側面を見落としてしまう。(p223)

 さまざまな弊害を考えたとき、難民条約の適用を一定期間、停止する、あるいは条約から脱退することも一つの案である。それによって、今や年間7000件に上る難民認定の申請を受理し、それを審査する義務は免れる。安全保障上の事案を含めた制度濫用の問題は避けられ、制度維持のために貴重な税金を費やす必要もなくなるだろう。もちろん、脱退の場合でも、第三国定住の枠組みで秩序ある形で難民を受け入れたり、UNHCRへの資金拠出を通じて途上国の難民を支援したりすることは可能である。
(中略)
 難民条約の理念的な美しさは、宗教のように人々を原理主義にしやすい。しかし、現実世界に照らし合わせてこの条約の妥当性を考える必要がある。どの方向をとるにせよ、EUの自縄自縛の姿を念頭に置きつつ、現実的な観点から議論されることが望ましい。(p230-231)

『大分県の百年』

大分県の百年』豊田寛三ほか著 山川出版社 1986
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 大分に旅行するに当たり、近くの図書館で借りた本。付箋をつけた場所をメモ。

p28:松方正義、養育館、生産会所
p76:富岡製糸場女工派遣
p80:福沢諭吉
p105:大分銀行
p142:佐賀関精錬所
p160:図書館建設、荘田平五郎、臼杵図書
p209:園田清秀
p229:紀元二千六百年イベント

松居友『手をつなごうよ』

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 松居友さんの本、教文館で入手して一気に読んでしまいました。1998年にフィリピンのミンダナオ島に渡り、2002年にMCL(ミンダナオ子ども図書館)を設立されてからの15年の軌跡。ずっと「ミンダナオの風」という機関誌を送っていただいていたので概要は知っていましたが、改めてその全体像が実によくわかりました。ミンダナオという土地の実情に接し、避難民の子どもたちに読み語りをしたい、という動機で始めた図書館活動というだけでも大きく心に響きましたが、何より私が感動するのは次の点です。イスラム教徒とキリスト教徒と先住民族の子どもたちを分け隔てなく接し、お互いの文化を理解し尊重する共同生活を営んでいること。そして十分な教育のために必要な設備を整え、伐採により荒れた土地に植林活動を進めていること。いったいどこからこうしたエネルギーが湧いてくるのでしょうか。

手をつなごうよ : フィリピン・ミンダナオ子ども図書館 : 日本にいちばん近いイスラム紛争地域での活動 / 松居友
 東京 : 彩流社, 2016
 175p ; 22㎝
 ISBN: 9784779122231
目次:
はじめに …6
第一章 ミンダナオ子ども図書館の子どもたち …11
1 おかえりなさーーーい! …12
2 小学生から大学生まで600人 …17
3 子どもたちは、本棚から自由に絵本を取りだすと …23
4 料理、洗濯、庭づくり …26
イスラム教徒、キリスト教徒、先住民族がいっしょに生活 …32
第二章 ミンダナオ島ってどんなところ? …39
1 ジャングルの山とワニのいる湿原 …40
2 峠をくだるとキダパワンの町 …44
3 さらにその先のリグアサン湿原 …48
4 この世の天国 …50
5 先進国意識の「上から目線」 …53
6 ミンダナオに来たきっかけ …56
7 生活が大変なのは、山に住んでいる先住民 …60
8 ミンダナオは、フィリピンのいちばん南の島 …62
9 ミンダナオの人々 …64
第三章 ぼくが図書館をはじめたきっかけ …69
1 ミンダナオでは、ときどき戦闘が起こる …70
2 コタバトにぬける国道は、戦争など想像できない平和な風景 …73
3 広大なリグアサン湿原 …75
4 見わたすかぎり地平線まで避難民 …76
5 隣人をほうっておけないでしょう …78
6 この川のナマズのスープを食べますか …85
7 ここで読み語りをしたい …89
第四章 いざ、ミンダナオ子ども図書館の開設 …93
1 捨てられた石が、すみの親石になった …94
2 うれしい再会 …97
3 ミンダナオ子ども図書館の出発 …105
4 法人資格を得たきっかけは …106
5 基幹をなすのが読み語り …111
6 子どもたちを、なぜ学校にいかせたかったか …117
7 薬も買えない …120
8 避難民の救済 …126
9 ミンダナオには、日本人が住んでいた …131
10 保育所と学校建設 …134
11 ゴムの木の植林 …139
第五章 生きる力ってなんだろう …145
1 神聖な場所 …146
2 見えない世界を信じきって生きている人々 …150
3 むこう側の者が聞いているから …153
4 リーダーの役割は …157
5 死にそうになっても? …159
6 生きる力ってなんだろう …164
7 友情と愛、それが不可能を可能にする …168
あとがき …174

彩流社サイト
http://www.sairyusha.co.jp/bd/isbn978-4-7791-2223-1.html

ベルリンの国立図書館の自筆楽譜


ベルリンの国立図書館の自筆楽譜

 ウンター・デン・リンデンに面したプロイセン国立図書館には、ドイツ国内の手稿本や美術書などの貴重なコレクションが集められていた。バッハ、モーツァルトベートーヴェンといった有名な作曲家たちの自筆楽譜もそのひとつである。第2次大戦が始まると、これらのコレクションは戦禍を逃れていくつかの地方に分散して疎開することになった。そして数百の木箱に丁重に詰められた自筆楽譜のとりわけ貴重な一群が落着いた先は、南シレジアの町グリュッサウにある修道院であった。
 南シレジアは戦後ポーランド領となり、自筆楽譜は長い間行方不明のままだった。戦火で燃え尽きたとか、ソ連軍が持ち去ったとか、さまざまなうわさが飛びかった。しかし実際には、それらの自筆楽譜はポーランド南部の古都クラクフにあるヤギェウォ大学の図書館に秘密裡に保管されていたのである。
 1977年になってポーランドと東独の間にすこし歩み寄りがあり、自筆楽譜のごく一部が返還された。モーツァルトの「魔笛」全曲、ベートーヴェンの「第九交響曲」、バッハの「フルートソナタ」など7曲である。そしてこれ以外の楽譜については、ヤギェウォ大学図書館において研究者の利用に自由に供されるようになった。
 以上はナイジェル・ルイス著「ペイパーチェイス」の粗筋である。この本は1981年にロンドンで出版され、私が白水社の翻訳を読んだのが1986年、そしてベルリンの壁が崩れたのが1989年。東欧に変革の嵐が吹荒れて以来、私は自筆楽譜の行方がずっと気になっていた。体制が替って楽譜は返還されたのだろうか、それとも混乱の中でさらに行方不明になってしまってはいないだろうか……。
 この9月(註:1993年)にベルリンを訪れた際、スケジュールの合間をぬって国立図書館プロイセン文化財図書館(Staatsbibliothek Preussischer Kulturbesitz)に行ってみた。ドイツ統一後東西ベルリンの国立図書館は組織上合併したが、建物はウンター・デン・リンデンのハウス1(プロイセン国立図書館ドイツ国立図書館:東館)と、旧西ベルリンのハウス2(1978~)に分かれている。私が訪れたのは、私たちの演奏会の会場であるフィルハーモニーザールのすぐ隣にあり、フィルハーモニーと同じ建築家が設計したモダンな造りのハウス2。そこで手に入れた1992年の展示会パンフレットには、「ペイパーチェイス」と同じ事柄がそっくり書かれていた。つまり現在でも楽譜は返還されず、ヤギェウォ大学に置かれている、という訳である。そして東欧の政情が安定してくれば、楽譜は返ってくるだろうという期待が記されていた。
 翌日、ウンター・デン・リンデンのハウス1に行ってみた。あいにく館内整理の特別休館日で中には入れなかったが、歴史がぎっしり詰った重厚な建物の中庭で、静かなひとときをすごすことができた。蔦のからまる建物の壁を眺めながら、戦争に翻弄された図書館と図書館員、そしてコレクションの行方に思いをめぐらせた。
                      門倉百合子(ヴィオラ

第九を歌う

 ひょんなことからこの8月に第九を歌うことになりました。パートはソプラノ。オーケストラのビオラパートでは何回も弾いたことがあるのですが、歌うのは初めてです。4月から週一回の練習に通い出したところ、すばらしいヴォイストレーナーの方の指導にぞっこんな日々です。声を出すのはまず身体作りからとのことで、手足の運動、腹筋の運動、バランスをとる運動、のどの運動など、毎朝続けています。
 第九の本番は暗譜なので、ドイツ語の歌詞を覚えてみましたが、これは難なく行きそうと見当が付きました。それより先日マンツーマンのレッスンがあり、自分の欠点がよく見えてきました。つまりドイツ語を正しく発音する事より、正しい音程で声を響かせるのが私の課題。しかし朝早くは声が出ないので、休みの日は貴重な練習日です。で、今日は昔ならったドイツリートの歌集を引っ張り出して、2時間近くあれこれ歌ってみました。
 まずはシューベルトの『水車屋の娘』から。シューマンの『女の愛と生涯』も。声を出すうちに30年も前に受けたレッスンがだんだんよみがえってきました。同じ曲でも30年前と今では見える景色が違います。とても楽しい時間でした。
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