Kadoさんのブログ

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アジア・オセアニア旅行歴

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ショスタコーヴィチの演奏歴

ショスタコーヴィチ交響曲第9番の演奏会に誘われたので、これまでの演奏歴を振り返ってみました。いずれも新交響楽団

  バッハ-菅原明朗編曲/パッサカリア
  ショスタコーヴィチ交響曲第11番「1905年」
  指揮:芥川也寸志

  • 第111回演奏会:1986年7月20日新宿文化センター

  モーツァルト交響曲第39番
  ショスタコーヴィチ交響曲第4番(日本初演
  指揮:芥川也寸志

  ショスタコーヴィチ交響曲第1番
  ブラームス交響曲第1番
  指揮:高関 健

  モーツァルト交響曲第33番
  伊福部昭/日本狂詩曲
  ショスタコーヴィチ交響曲第10番
  指揮:小泉和裕

  ストラヴィンスキー春の祭典
  ショスタコーヴィチ交響曲第5番
  指揮:井崎正浩

  ショスタコーヴィチ交響詩「10月革命」
   同/交響曲第7番「レニングラード
  指揮:小泉和裕

『黒部・底方の声:黒三ダムと朝鮮人』

■黒部・底方(そこい)の声:黒三ダムと朝鮮人 / 堀江節子、此川純子、内田すえの

富山:桂書房、1992年12月 
308p
目次:
はじめに
1章 黒部川第三発電所の建設 / 此川純子
1 黒部との出会い…2
2 彼らはなぜ黒部へやってきたのか…12
3 黒部川第三発電所建設について…23
4 難工事下の朝鮮人労働者たち…42
5 証言の中の朝鮮人労働者たち…74
6 犠牲者への追悼…78
7 終わりに…81
2章 朝鮮人遺族たちの半世紀:「黒三」志合谷雪崩事故 / 堀江節子
  黒三の遺族たち…86
1 金鐘旭さんの手紙…89
  最初の手紙(1987年7月2日付け)…94
  日本一の職工に(1987年7月8日付け)…103
  渡航制度と「工夫」(1987年8月21日付け)…112
  もう一度墓参に(1987年10月21日付け)…116
  金鐘阜さんの手紙(1987年12月25日付け)…117
2 孫秀栄さんの訪日…119
  今、なぜ「黒三」なのか…119
  孫秀栄さんの訪日と韓国訪問の実現…123
3 墓参…126
  韓国訪問まで…126
  韓国での出会い…128
  忌祭祀(法事)…132
  墓祭(墓参)…133
  飲福(会食)…134
4 韓国の遺族たち…138
  「御下賜金伝達の件」の文書発見…139
  50年のかなたへの手紙…141
  金徳淵さんからの返信…142
  よみがえる怒り…144
  「ハン(恨)」を晴らしたい!…147
  三通の手紙…149
  手紙と聞き取り調査の反省…152
  旅を終えて…156
3章 富山県における朝鮮人労働者:「強制連行」前史 / 内田すえの
はじめに…162
1 「韓国併合」前史―明治維新から「韓国併合」まで…166
  年表「日本の対朝鮮政策と、日本・朝鮮の動き」…166
  「日本統治の恩恵論」と反日義兵闘争…169
  朝鮮に渡った富山県人…174
  新聞にみる「併合観」…178
2 「併合」から解放まで…180
  「1910年代」年表…181
  武断政治と土地調査事業…189
  3.1朝鮮独立運動…194
  「1920年代」年表…196
  「産米増殖計画」と渡日朝鮮人の増加…214
  県工業発達と対岸貿易…216
  県内朝鮮人労働者の状況…219
  「1930年代」年表…233
  戦時体制突入と朝鮮の兵站基地化…253
  朝鮮人労働者の闘い…253
  国家総動員体制と「協和会」結成…261
  県水力発電朝鮮人労働者…264
  「1940年代前半」年表―強制連行・皇民化政策を中心に…269
  「富山県協和会」の活動状況…274
  富山県内における強制連行…277
3 終わりに…283
あとがきにかえて
  いま、できるところから / 内田すえの…289
  自分のこととして向き合う / 此川純子…294
  語りべを拒むもの / 堀江節子…198
参考文献…303

『索引 ~の歴史』を読む

デニス・ダンカン『索引 ~の歴史』光文社、2023年

本の巻末にある「索引」の歴史の本。欧米の書物につけられた索引の歴史だが、第6章以降は現代の状況にどんどんつながる話ばかりで興味が尽きない。索引家協会についても記載が多くあり、そしてもちろんこの本の索引も充実している。
英語版Wikipediaにこの本の記事があったので、翻訳してみた。一読しただけではわからなかったこの本の本質にずいぶんとせまることができた。

索引 ~の歴史:書物史を変えた大発明 / デニス・ダンカン;小野木明恵

光文社、2023年8月
429p
原タイトル: Index, a history of the
目次:
序文…9
第1章 順序について:アルファベット順の配列…29
第2章 索引の誕生:説教と教育…61
第3章 もしそれがなければ、どうなるのだろうか?:ページ番号の奇跡…101
第4章 地図もしくは領土:試される索引…133
第5章 いまいましいトーリー党員にわたしの『歴史』の索引を作らせるな!:巻末での小競り合い…159
第6章 フィクションに索引をつける:ネーミングはいつだって難しかった…197
第7章 「すべての知識に通ずる鍵」:普遍的な索引…231
第8章 ルドミッラとロターリア:検索時代における本の索引…261
結び 読書のアーカイヴ…295

原注…305
謝辞…331
訳者あとがき…335

図版一覧…343
索引家による索引…393
コンピュータによる自動生成索引…397
日本語版索引…429

■メモ

  • グーグル社のマット・カッツ「最初に理解すべきは、グーグルで検索をするとき、実際にはウェブを検索しているのではない、ということです。グーグルが作成したウェブの索引を検索しているのです」。(p10)
  • 歴史や伝記など、近ごろ主流のノンフィクションの本には、ほぼもれなく索引がついている。そしてきちんとした出版社なら、専門家が索引作りをする可能性がとても高い。アメリカ索引協会や、オランダ索引家ネットワーク、オーストラリアおよびニュージーランド索引家協会、カナダ索引協会などの業界団体のメンバーである場合が多いだろう。これらの団体のうちもっとも長い歴史をもつのが1957年にイギリスで創設された索引家協会である。(p163)
  • ほかの印刷物と比べて短命な新聞を、わたしたちはどのようにあつかっているのか。~~「今日のニュースは明日のフィッシュ・アンド・チップスの包み紙」とよく言われるではないか。(p199)
  • 18世紀に発行されていた雑誌の多くは、こうした中間的な位置づけに当てはまる。その顕著な例が『スペクテーター』紙だ。1711年創刊の『スペクテーター』紙(現在発行されている同名の雑誌とは直接の関係はない)は1枚きりの紙でできた安価な日刊紙で、文学や哲学、さらには書き手の関心をひいたさまざまな題材についての短いエッセーが掲載されていた。~~かくしてこの新聞は、ほとんど間を置かずに本の形式で再発行された。~~『スペクテーター』の初期の合本につけられた索引は、先駆者である『タトラー』の索引とともに、それだけですばらしいできばえであり、もとのエッセーと同じくらいの多様性とウィットに富んでいた。(p200-202)
  • (ルイス・)キャロルは子どものころからずっと索引を作っていた。しかも索引で遊んでいた。(p205)
  • シャーロック・ホームズが索引家であっても意外ではないだろう。ホームズの異能、並外れた能力の源は、百科事典的な博覧強記にある。人間グーグル、歩く『ノーツ・アンド・クエリーズ』。~~ホームズはことあるごとに自作の索引に手を入れる。~~もちろんその索引はアルファベット順で、字母ごとに見出しの並んだ「大きな索引帳」である。(p232-233)
  • 1865年、司祭で出版者でもあるジャック=ポール・ミーニュがまさにこれに匹敵する大規模な技術プロジェクトを行った。~~1841年から1965年にかけて刊行された『ラテン教父全集』には、広範囲にわたる教父たちの著作が収録されている。~~索引となるとミーニュは手を抜かなかった。~~「50名以上が10年にわたり、ひとり当たり年1000フランという低報酬で作業をした」とミーニュは述べる。生活が困窮している索引家にとっては低報酬かもしれないが、合計額は当然かなりのもので、「印刷費全額は勘定に入れずとも、50万フランを超えた」と自慢気に語る。(p235-237)
  • 1877年10月2日、図書館業界の面々がロンドンに押し寄せた。世界有数のコレクションを誇る140の図書館の代表者たちが、第2回図書館員会議に集まったのだ。第1回会議は前年にフィラデルフィアで開催されたが、遠方であったため、ヨーロッパの図書館からの出席者はほとんどいなかった。(p239)
  • 図書館員会議からわずか3週間後に索引協会が発足した。協会幹事はヘンリー・B・ホイートリーなる人物で、年会費1ギニーを払えば、協会委員会の承認を経たうえで会員資格が得られた。~~協会初の刊行物としてホイートリーの『索引とは何か』がすでに印刷、発行されていた。~~1887年、設立から10年後、協会は事実上消滅した。ホイートリーは15年を隔てて協会の末路を振り返り、協会が存続できなかったのは普遍性を目指したからであろうかと疑問を呈することになる。(p245-250)
  • 図書館員会議でクロスの講演に耳を傾けていた代表者のなかに、ウィリアム・プールがいた。~~彼はアメリカの非常に著名な司書で、シカゴ公共図書館の館長を務めている。~~彼自身の著書、『評論誌、その他の定期刊行物にてあつかわれた主題についてのアルファベット順索引』である。(p251-252)
  • 2007年8月23日、クリス・メッシーナという名のウェブ開発者が、新興のソーシャル・メディア・ネットワーク、ツイッターにメッセジーを投稿した。「ポンド記号(#)を使ってグループを表すのはどうだろう。たとえば#barcamp [メッセージ] みたいに。(p288)

■更新履歴

  • 2024.1.17:Wikipedia記事についてと「メモ」を追記

ドラッカー『非営利組織の経営』を読む

ドラッカー『非営利組織の警衛ダイヤモンド社、2007年

ウィキメディア財団ウィキメディア運動について考えていたら、それはピーター・ドラッカーの『非営利組織の経営』に通じますね、と指摘を受けました。早速図書館で借りてきて目を通して見ました。原著は1990年に出た"Managing the Nonprofit Organization"で、1991年には日本語訳が出ていますが、それの新しい訳本です。アメリカ流のマーケッティングの手法が様々に紹介されていましたが、なるほどと参考になる点も多かったです。

■非営利組織の経営 / P.F.ドラッカー;上田惇生訳

ダイヤモンド社、2007年
xxiii, 244p
目次:
日本語版へのまえがき…iii
まえがき…vii
第1部 ミッションとリーダーシップ
第1章 ミッション…2
第2章 イノベーションとリーダーシップ…9
第3章 目標の設定…33
第4章 リーダーの責任…42
第5章 リーダーであるということ…50
第2部 マーケティングイノベーション、資金源開拓
第1章 マーケティングと資金源開拓…58
第2章 成功する戦略…65
第3章 非営利組織のマーケティング戦略…83
第4章 資金源の開拓…95
第5章 非営利組織の戦略…109
第3部 非営利組織の成果
第1章 非営利組織にとっての成果…118
第2章 「してはならないこと」と「しなければならないこと」…126
第3章 成果をあげるための意思決定…135
第4章 学校の改革…147
第5章 成果が評価基準…155
第4部 ボランティアと理事会
第1章 人事と組織…162
第2章 理事会とコミュニティ…176
第3章 ボランティアから無給のスタッフへの変身…181
第4章 理事会の役割…190
第5章 人のマネジメント…198
第5部 自己開発
第1章 自らの成長…206
第2章 何によって憶えられたいか…212
第3章 第二の人生としての非営利組織…221
第4章 非営利組織における女性の活躍…226
第5章 自らを成長させるということ…236
訳者あとがき…241
索引…244

■メモ

  • あらゆる非営利組織に共通するミッションとして、人に自己実現の機会を与え、理念と信条と理想に生きる機会を与えるためにも資金が必要である。/ 寄付者を参画者にするということは、大勢の人が毎朝鏡の中に、見たい自分、あるいは見たいと思うべき自分、市民としての責任を果たす自分、隣人として人を愛する自分を見られるようにすることを意味する。(px)
  • 自動車メーカーであれ神学校であれ、新しいものを現業部門に置いても日常の問題の解決が優先されてしまう。そのため明日は常に延期される。新しいものは別途に組織しなければならない。(p14)
  • 私は、世界的な規模の大組織の長をつとめるある賢人から大事なことを教わった。~~「重要なことは自分の子供をその人の下で働かせたいと思うかである。その人が成功すれば、若い人が見習う。だから私は自分の子がその人のようになってほしいかを考える」(p18)
  • チャーチルの強みは、どこまでも後進の政治家を育て、後押ししたことにあった。それこそ、人の強みに脅かされることのない真のリーダーの証しだった。これに対し、ローズヴェルトは自立の兆しを見せる者はすべて切り捨てていた。(p24)
  • 資金源開拓の第一の主役は、理事会のメンバーすなわち理事である。もはや、非営利組織の趣旨に賛同するというだけの理事では困ることが明らかである。自ら資金源となることによって、資金源開拓の先頭に立つ理事が必要である。(p62)
  • 非営利組織のマーケティングは、組織自体が達成したいものを知り、組織内の全員がその目標とその価値に合意し、成果をもたらすべく進み始めたときに効果を発揮します。(p94)
  • 人を長期にわたってスタッフ部門に配置してはならない。現場とローテーションさせなければならない。数年ごとに将校を部隊に戻すことは、昔からの軍の知恵である。(p134)
  • 19世紀の終わりに大作曲家グスタフ・マーラーがウィーンに交響楽団を設立した。メンバーへの要求が厳しかったため、パトロンである皇帝が「やりすぎではないか」と下問したのに対し、彼はこう答えたという。「彼らの腕が上がって、彼らからの要求のほうが厳しいのです」(p171)
  • 彼(指揮者ブルーノ・ワルター)は、シーズンの終わりには全団員に手紙を書いたという。「ハイドンのシンフォニーのリハーサルでは、あの難しい一節の演奏であなたからいろいろなことを学びました。ところで、あなたは今シーズン一緒に仕事をしてどのようなことを学ばれましたか。」/ おそらく返事の半分は絵葉書程度だったと思われる。しかし「現在は18世紀のトランペットを模索しているところです」などの真剣な返事もあったはずである。ワルターのオーケストラで働くことは、音楽家として一つの大きな成長の機会となっていた。(p210)
  • 私が13歳のとき、宗教の先生が「何によって憶えられたいかね」と聞いた。誰も答えられなかった。すると、「答えられると思って聞いたわけではない。でも50になっても答えられなければ、人生を無駄に過ごしたことになるよ」といった。(p219)
  • 強みを伸ばすということは、弱みを無視してよいということではない。弱みには常に関心を払わなければならない。しかし人が弱みを克服するのは、強みを伸ばすことによってである。安易な道をとってはならない。完全主義者である必要はないが、自らにいい加減さを認めてはならない。(p238)

Sさんからの手紙

Sさんからの手紙

部屋の片づけをしていたら、Sさんからの手紙の束がでてきた。Sさんは友人Mさんの母上で、壮年のMさんは人生を謳歌していた2000年の夏に、事故で亡くなられた。葬儀で知り合ったSさんとは、その後しばらく手紙のやりとりをしていたのだった。

Mさんは以前にはいっていたオーケストラの仲間で、西洋音楽だけではなく、アジアそして日本の音楽にも詳しかった。演奏会プログラムの曲目解説に、詳しくそして人柄のにじみ出る文章をしばしば書かれていた。20年以上いっしょに演奏し、大切な友人となっていた。そのMさんが家族と友人たちと海に遊びにでかけ、そこで溺れて帰らぬ人となったのだ。

母上であるSさんからの手紙を読み返すと、それはオーケストラの演奏会チケットをお送りしたり、録音CDをお送りしたお礼状が多かった。ご自身も音楽に親しんでらしたSさんは、Mさんが亡くなられてからも私たちのオーケストラの演奏会にご家族とよく来てくださった。Mさんの写真を胸に客席で聴いてくださっていたのが文面からわかる。それはなつかしさや親しみよりも、深い悲しみが浮かび上がる文章だった。

当時私は自分の母親を実家から引き取り介護をしていたので、そのこともいろいろ手紙に書いたらしい。そうした私に対してSさんはねぎらいの言葉をかけてくださった。その時期、私は仕事や介護でせわしくしていたので、Sさんのせっかくの言葉も通り一遍の受け止め方しかできなかったような気もする。

その後手紙のやりとりは少なくなり、しばらくしてSさんは亡くなられた。今私が当時のSさんの年齢に近くなり、改めて手紙を読み返してみると、子を亡くした母親の思いがしんしんと伝わってくる。手紙を書くきっかけはその時その時でいろいろだが、結局は息子のMさんを思う気持ちが隅々まで溢れている。今頃は彼岸で二人で微笑んでくれていると考えたい。

O.スリヴィンスキー『戦争語彙集』を読む

O.スリヴィンスキー『戦争語彙集』岩波書店、2023

ウクライナの詩人オスタップ・スリヴィンスキー作、ロバート・キャンベル訳著『戦争語彙集』を読みました。岩波書店から2023年12月22日発売の本です。1978年ウクライナ西部の都市リヴィウに生まれたスリヴィンスキーは、詩人として幅広く活動していました。2022年2月のロシアによる侵攻後、まず軍隊に入ろうと志願したそうです。しかし多くの志願者がいたため入隊はかなわず、戦争被災者を支援する活動を続けていました。その中で出会った人々が語る言葉に耳を傾け記憶し、家に帰ってそれを原稿にまとめ、2022年に"СЛОВНИК ВІЙНИ”(ウクライナ語。英語にすると"Dictionary of War")というタイトルで出版しました。本文には21人の語った77の言葉と物語がまとめられています。すでに何か国語にも翻訳されているそうです。

その英訳をもとに、日本文学研究者ロバート・キャンベルが日本語に翻訳しようと計画しました。翻訳にあたりキャンベルは、2023年3月にスリヴィンスキーと直接オンラインで連絡をとり、6月には実際にウクライナに出向き2週間にわたり取材をしました。その経験を6つのエッセイにまとめて本文の後ろに追加したのです。日本語の本文はウクライナ語のABC順に並べられており、言語間の優劣はない辞書の形態をとっています。本文とエッセイ全体を読み、「言葉」の持つ意味、力、可能性を深く感じることができました。黒い表紙に浮かび上がるピンクの百合の画の由来が、エッセイの最後にでてきました。

この本を読んだきっかけは、12月20日のTOKYO-FMラジオ番組『林檎の樹の下で眠るとき ヴォイス・オブ・ザ・ピープル ~戦争語彙集~』を聞いたからでした。そして作者オスタップ・スリヴィンスキーの名前を目にし、私が半年ほど前にウィキペディアに出した人名であることを思い出しました。彼はパンデミック下に世界中の詩人たちが参加した一連の長詩『月の光がクジラの背中を洗うとき』の作者の一人だったのです。

■戦争語彙集 / オスタップ・スリヴィンスキー作;ロバート・キャンベル訳著

岩波書店、2023年12月
xv, 269p
目次:
旅立ちの前に / ロバート・キャンベル…v
戦争語彙集 / オスタップ・スリヴィンスキー作;ロバート・キャンベル訳…1
戦争のなかの言葉への旅 / ロバート・キャンベル…117

  1. 列車から、プラットフォームに降り立つ:行き交う人々と言葉
  2. 人形劇場の舞台袖で、身をすくめる:言葉の意味が変わるとき
  3. 階段教室で、文学をめぐる話を聞く:断片としての言葉
  4. ブチャの団地で、屋上から見えたもの
  5. シェルターのなか、日々をおくる:とどまる空間で、結び合う人々
  6. あかるい室内で、壁に立てかけられた絵を見る:破壊と花作り

環(たまき)のまわるが如く / ロバート・キャンベル…265
「戦争語彙集」原詩謝辞